カテゴリー「Travel」の記事

2013年8月15日 (木)

我が家のお伊勢参り

 我が家では、「伊勢・亀山で独り暮らしを続けてきた義父の介護のために、千葉から亀山に行くこと」をお伊勢参りと呼んでいます。ちなみに、介護のために生活の拠点を、千葉から伊勢・亀山に移すことは、「遷宮」と呼んでおります。
 この1年間、かみさんはほとんど亀山に行きっぱなしで義父の介護に明け暮れております。私は7月7日に完全リタイアをするまでは月に4〜5日、今では月に一度の「お伊勢参り」で1週間から10日ほど亀山に滞在しています。千葉の方で準備が整い次第、我が家の「遷宮」を予定していますが、それは9月以降になりそうです。40年暮らしてきた千葉を離れるのはかなり大仕事です。
 さて、今日は、義母23回忌のお盆ということもあり、先週「お伊勢参り」、15日の今朝、一旦千葉に戻ってきました。毎月の私の「お伊勢参り」は、基本的に車でのお参りです。今日のドライブで、ほぼ平均の行程が出たので、それを記録しておきます。

↓亀山市郊外の「亀山茶」畑を背景にDISCOVERY 3 HSE

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 今朝は、午前5時15分に、三重県亀山市菅内町の義父の家を出発。鈴鹿インターから東名阪自動車道に入り、四日市ジャンクションで伊勢湾岸自動車道。豊田から東名高速、三ヶ日ジャンクションから新東名高速。およそ160km走って、午前6時45分に浜松サービスエリア到着。およそ30分休憩。

↓夜明けの伊勢湾岸自動車道

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 新東名を御殿場まで走って東名高速へ合流し、310km地点の足柄サービスエリアでも約30分休憩。その後東名高速から首都高を経由して、東関東自動車道、幕張インターで高速を降りて、千葉市稲毛区小仲台の自宅に到着したのが、午前10時45分。休憩の合計1時間を除くと、ちょうど4時間半で、445.6kmを走ったことになります。

 往復とも、午前5時台に出発することで、東京、名古屋のラッシュアワーに遭遇しなくて済みます。正月休みやお盆の時期は渋滞必至ですが、事故や悪天候などによる渋滞さえなければ、千葉市稲毛〜伊勢亀山間約450kmは、ゆっくり走って休憩含めて7時間、空いていれば5時間半〜6時間で移動することができるということになります。

 私の愛車LAND ROVER/DISCOVERY 3 HSEは、燃費の悪さが尋常ではありません。通常都市部を走行していると、リッター当たり5〜6km。今回は、90%以上が高速道路とあって、リッター当たり8.9kmという結果でしたが、これでも相当いい方です。エネルギー消費の悪玉ですが、運転する楽しさとドライブの快適さを味わえるので、まだ手放す決断ができないでいます。

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2011年10月10日 (月)

都営交通100周年記念(笑)、都電を使った『小さな旅』

 7月に、三ノ輪から王子まで、都電荒川線の東半分を旅したまま、残りの西半分を乗り残しておりましたが、9月下旬の休日に、王子から早稲田までの西半分を旅してきました。
 今回の出発地は、都電荒川線『王子駅前駅』。

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↑王子駅前駅。今は頭上を東北新幹線が通っています。右手上には京浜東北線。
↓京浜東北線のガード下をくぐって、明治通りを飛鳥山に向かって上っていく早稲田行き。この明治通りの中を通る区間が、いわゆる路面電車の雰囲気を残していて懐かしい気持ちになります。

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 荒川線沿線には、昭和の香りのする風景が残っていますが、王子駅前にも、往時を偲ばせる商店街の名残があります。駅のロータリーに入るタクシーが必ず通る細い路地には、飲み屋が軒を連ねています。

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 荒川線を王子から西に向かい、沿線一の賑わいを見せる巣鴨地蔵通りへの最寄り駅、『庚申塚』駅で途中下車(ちなみに、今回も400円の都電一日乗車券を利用しました)。

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↑庚申さま(猿田彦大神)では、狛犬があるあたりに、猿(申)が鎮座しています。狛犬とは、犬猿の仲?

 庚申塚あたりは、『江戸名所図会』にも描かれた、江戸時代から賑わっていた中山道板橋宿手前の、茶店の連なる名所だったようです。この日、その茶店の雰囲気を保っている店でかき氷をいただきました。
 若い頃、1970年代前半、私は板橋区の高島平に住んでいて、巣鴨経由で会社のある神保町まで通っておりました。その頃には、「江戸」よりも「東京」ばかりに目が向いていて、せっかく毎日近くを通っていたのに、この巣鴨界隈を歩くことはほとんどありませんでした。それが、今思うと残念。

↓休日ということもあり、地蔵通りは朝から大変な賑わい。

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↓ついつい目が行く食べ物屋。全国からの観光客に向けてのことでしょうか、この鰻屋さんでは、「関西焼き」と「関東焼き」が選べるようです。ひつまぶしは名古屋だし……

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↓こちらは「大学芋」。地蔵通りの食べ物屋さんは、「おばさん好み」の店が多いように思います。それだからでしょうか、私の心をくすぐるのは……(笑)。

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 で、今や巣鴨といえば『古奈屋』のカレーうどんがすっかり有名になってしまいましたが、あちこち食べられるようになってくると、魅力半減。というわけで、今回はちょっと冒険。看板と店構えを頼りに、「五島うどん」を売りにしている『ここ、長崎』という店に入ってみました。これが、大当たり! あご出汁を使ったつゆでいただく五島うどん、絶品! ゆずこしょうが合います↓

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『とげぬき地蔵尊』として知られるお寺は、実は『曹洞宗萬頂山高岩寺』という立派なお名前だったのですね。今回初めて気づきました。

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 さて、地蔵通りには未練が残りますが、荒川線にもどって、大塚へ向かいました。
↓秋の始まりを感じさせる大塚駅前。

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↓大塚駅周辺は、どういうわけか、三角形の土地が多く、楔形のビルが目立ちます。

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 大塚でちょっと寄り道した後は、雑司ヶ谷へ。『雑司ヶ谷』から次の『鬼子母神前』までは徒歩で……
↓雑司ヶ谷駅

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 この辺りを歩くのは初めてです。雑司ヶ谷の鬼子母神にも初めて寄りました。
↓鬼子母神の阿吽像は石像でした。

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 鬼子母神にお参りした後、目白通りの千登勢橋上から都電の姿を撮影。ここは撮影ポイント。学習院の前を通ってJR目白駅まで歩き、駅前の和菓子屋『志むら』で、この日二杯目のかき氷……

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『鬼子母神前』から再び都電に乗って、千登勢橋をくぐって、『学習院下』の緩やかな坂を早稲田に向かって下っていきます。終点早稲田の手前の駅が『面影橋』。神田川に架かる面影橋は、橋自体は地味な橋ですが、付近の神田川沿いの桜は有名です。ただ、やはりこの橋の名前は、N.S.P.などの歌などでも使われたほど私たちの耳に馴染んでいて、どこか懐かしい気分にさせてくれます。
↓面影橋から神田川の下流方向を望む。

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『面影橋』から、次の終点『早稲田』までは、歩いてみることにしました。都電の走る新目白通りから一本裏の道を歩いて行くと、右手に無料で公開されている庭園公園がありました。40年東京に暮らしていて全く今までその存在さえ知らなかった庭園……『甘泉園』です。
 元は大名屋敷だったようですが、戦前は早稲田大学が所有しており、戦後東京都が買い上げて、都の管理下に置かれているとのこと。規模はそれほど大きくはありませんが、落ち着いた(人が少ない)きれいな庭園でした。穴場ですね。

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 終点の『早稲田』駅は、モダンな屋根がついていて、ここに新型の車両が入ってくると、荒川線のイメージが変わります。

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 『早稲田』から、帰路も荒川線で王子までのんびりと。

↓往路、橋の上から写真を撮った千登勢橋を下から望みます。

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↓東池袋、サンシャインシティからすぐの場所でも、荒川線には昭和の風景が残っています。どうせなら、このまま残っていて欲しい、と思うのは身勝手な思いでしょうか。

 今まで、途切れ途切れに乗っていた荒川線ですが、この夏は2回に分けて、全線を往復できました。毎年上京していた1960年代前半の東京には都電が至る所に走っていて、私にとっては山手線よりも都電で移動する機会が多かったように記憶しています。
 路面電車の走る街が好きです。公共交通機関として、見直されているとの話を聞きますが、一度廃止したところに復活させるのは難しいでしょうね。だとすれば、この荒川線、残っていて欲しいと思います。

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2011年7月16日 (土)

富士山麓の涼を満喫した妖しい三人組の旅

 ちょうど一週間前、私が64歳になった翌日のことです。西からやってくる友人二人と、三島駅(静岡)で合流して、日本一予約の取りにくい休暇村と呼ばれている、『休暇村富士』へ泊まる旅をしてきました。
 私の誕生日記念とはいえ、場所柄、案内役(兼)ドライバーは私です。

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↑柿田川の透明度は変わらない。

 まず向かったのは、私にとって「三島といえば柿田川」の、柿田川湧水公園。昔、何度か『BE-PAL』の取材でも訪れた場所です。富士山の伏流水が川底から噴出する様が観られることに変わりはないのですが、昔訪ねた時の、あの素朴で手つかずの自然の感じはなくなっていました。

 周辺がすっかり整備されて、訪れる人も多いのでしょう、公園化が進んでおり、少し寂し思いにとらわれました。仕方ないですね。昔は知る人ぞ知る場所だったので、あの素朴さがあったんですけどね。

 三島から、富士宮の富士山本宮浅間大社へ。全員、お腹が空かないので、富士宮焼きそばはパスいたしました。

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 田貫湖畔にある休暇村へ行く途中、『白糸の滝』へ寄りました。もう夕暮れで、観光客もまばらでしたが、暗くなりかけた滝の周辺には水煙がたちこめ、ちょっと幻想的な風景にであうことができました。

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 さて、その夜泊まったのは、休暇村富士。全国の国立・国定公園に36か所存在する休暇村の中でも、予約の取りにくさではトップクラスの富士(静岡)です。首都圏から近い、富士山を正面に望めるという抜群の立地条件などが重なって人気が高いのは理解できますが……結論から言うと、その立地条件が全て。それ以上でも以下でもないというのが、今回も一緒に旅した、自称『休暇村研究会妖しいおばさん部会』の結論です。
 昨年の、大久野島(広島)や、今年の早春に訪ねた越前三国(福井)の食事がものすごく印象に残っている私たちにとって、富士の食事は「余りにもフツー過ぎて」、「あ、こんなもの?」という感想でした。不味くはないのですが……

 さて、翌朝、日の出からしばらくは、部屋の窓の正面に富士山が姿を見せてくれたのですが、休暇村の前に広がる田貫湖の辺まで降りて、いざ写真を撮ろうとおもったら、↓こんな感じで、富士山(正面にあるんですが)雲に隠れてしまいました。

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 休暇村をチェックアウトした私たちは、朝霧高原から富士五湖のうち、四湖を巡るコースで常に富士山の姿を右に見ながらドライブを楽しみました。

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↑富士山と愛車DISCOVERY 3 HSE。

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↑途中、青木ヶ原の樹海に寄って、気温零度の風穴の中へ。

 最後は、山中湖畔を一周。そこでしばし湖畔の涼気を楽しんだ後、午後早めに中央高速経由で東京へ。
↓平年よりも2週間近く早い梅雨明け。山中湖は真夏の雰囲気でした。

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 私が拠ん所ない事情でその日、早めに旅を切り上げざるを得ず、旅を楽しみにしていた友人たちに申し訳なかったのですが、いつもながら、リラックスした2日間でした。やはり、ストレス解消には旅が一番です。

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2010年10月24日 (日)

瀬戸内の島へ(3) 大三島からしまなみ海道経由で尾道へ

 休暇村・大久野島を後にした私たちは、休暇村の名物男ガバチョ(本名はS氏だが、J女史が、この人を本名で呼んではいけないというので、ここでもガバチョとニックネームで書かせてもらいます)の案内で、まずは大三島へ。
 大三島からは、ガバチョ氏が「私の故郷です」と公言する瓢箪島が見える。NHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』のモデルとなった島だと言われている島ですが、そう言われている島は全国にいくつかあるので、ここがほんとうにモデルの島かどうか定かではありません。ただ、名前通り姿は確かに「ひょうたん」です↓

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 大三島は愛媛県になります。この島では、瀬戸内随一といわれる神社、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に参詣。左端が休暇村・大久野島のガバチョ氏。体型からドン・ガバチョであることは、おわかりですね(笑)。

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 2か所の道の駅で、新鮮なハーブや野菜、果物を買い、みかんのソフトクリームをいただきました。その後、しまなみ海道を経由して尾道へ。

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 お恥ずかしい話ですが、私は尾道も初めての町。「港町には坂がなくてはならない」というこだわりと好みを持つ私にとって、尾道は一度は訪ねてみたい町のひとつでした。今回、それが実現したことがこの旅のもう一つの収穫でした。(町自体の魅力は、今回は竹原に軍配を上げたいと思いますが)
↓憧れの、想像していた風景は、千光寺から望む尾道水道でした

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 日曜日とあって、尾道の繁華街、ウォーターフロント近辺の駐車場はどこも満杯のため、私たちは山頂近くの千光寺公園駐車場に車を停め、徒歩で千光寺から麓の街へ。尾道も、想像していたとおり、随所に古い建物が残る街でした。観光客で賑わう日曜日だったので、平日の様子はわかりませんが、けっこう活気が感じられました。
 行きたかった桂馬蒲鉾店へ向かう途中で、『北前亭』というちりめんじゃこを扱うショップに立ち寄ったのですが、その店は、偶然なのですが、かつて私が編集長を務めていた時(1993年)に『サライ』で紹介したじゃこ専門店でした。店内にその号の『サライ』が展示してあり、思わず奥付で自分の名前を確認し、お店の方に遅ればせのご挨拶。

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 尾道浪漫珈琲店で、飛び切り美味しいアイスコーヒーをいただき、帰路は、ロープウェイで千光寺山頂まで……↑遠くに見えるのが尾道大橋。

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 千光寺山頂で記念写真。左から、PR会社社長M女史、私、フリーランスの記者(兼)占い師のJ女史、そして、今回の旅ですっかりお世話になったガバチョ氏。楽しく、興味深い旅になりました。皆さん、ありがとう!
<瀬戸内の島を訪ねる旅、これにて終了>

 別カットも含め、この旅のアルバムを公開しています。

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瀬戸内の島へ(2) ウサギの天国、大久野島・休暇村が素晴らしいワケ

 今回の旅の目的は、大久野島の休暇村宿泊体験です。聞かされていたのは、この島がかつて毒ガスを製造していた日本軍の化学兵器島だったという悲しい過去を持っているということと、今は、島全体が休暇村で、野生化したウサギが数百羽生息しているということくらいでした。
 休暇村『大久野島』のホームページはこちら↓
http://bit.ly/14j8Ph

 フェリーで大久野島に着いた私たちは、さっそく夕暮れの芝生の広場でウサギと対面。広島でフリーの記者(兼)占い師をやっている同行のJ女史の話では、ウサギが餌をねだってわんさと集まってくるはずでしたが、土曜日の夕方とあって、昼間多くの観光客からたらふく餌にありついていたウサギは、思ったほど集まってはきませんでした。それでも、動物好きの大阪のPR会社社長M女史は狂喜乱舞、とっぷりと日が暮れるまでウサギと戯れておりました。

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 休暇村から見る、瀬戸内海の島に沈む夕日は絶品でした。日が傾き始めてから、すっかり夜の帳が降りるまで、私たちは飽きることなくその色彩の変化を楽しみました。(もっとも、女性たちはウサギの方に夢中でしたが……)

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↑ウサギと遊び、夕焼けを堪能した私たちは、館内の2カ所にある温泉大浴場で疲れを癒した後、食堂で膨大な品目のバイキング方式の夕食をいただきました。これはその一部です。
↓こちらは特別メニューの海の幸盛り合わせ。さすがに魚介類の鮮度が違います。中国山地の麓の盆地で育った私は、長い間生の魚が苦手でした。こういうイキの良い刺身をいただくと、ほんとうに日本人に生まれて良かったと思うのです。

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↓すっかり出来上がって、深夜まで話が弾んだ私たちです。

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 翌朝、旅に出ると、5時には起きる私は、まず温泉。↓部屋から外を見ると、いい天気。今日も瀬戸内海は穏やかです。

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 朝食(7時半〜)前に、散歩に出かけました。早朝から、ウサギがあちこちに出没。同じく散歩を楽しんでいる宿泊客は皆優しい顔でウサギと戯れていました。

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↑後ろに見えるのが休暇村の宿泊棟。

 散歩の後は、朝食です。この朝食がまた素晴らしいものでした。例によってバイキング方式なのですが、まず品数が尋常ではない。そして、特筆すべきは、海の幸は当然として、サラダで食べる有機野菜の種類の豊富さ、その新鮮さ。この朝食だけでも、この、瀬戸内の島の休暇村を訪ねる価値があります。
 野菜に感動した後、食堂の一角に設えられた焼き魚とおにぎりの屋台風コーナーにまたまた感動。

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 焼き魚は、笹かまぼこも含めた6種類の魚が少しずつ焼きたてをいただけます。おにぎりも二十種類ほどの具が用意され、その場で握ってもらえるのです。このおにぎり・コーナー、いつもは支配人自らが担当するとか(この日は出張中で、若いスタッフが担当)。

 格安の宿泊施設というくらいのイメージしかなかった私にとって、久しぶりの休暇村は、大変満足度の高い食事と、宿泊客を飽きさせず寛がせる工夫の見える快適なものでした。食事の内容がこれほどまでとは……予想をはるかに上回っていました。この歳になると、食事は、量よりも、豊富な種類の上質な料理を少しずつ……というのが理想になります。その点、情緒には欠けますが、バイキング方式というのは悪くないですね。合理的です。
 観光地のホテルや旅館でも、このバイキング方式の朝食が多いのですが、この大久野島休暇村は、その合理的な方式が故に不味くて興ざめがちな点をカバーする工夫が随所に見られて、満足度は高いと思います。

 食事の満足度が高いと、その宿泊施設全体の印象が良くなりますね。

 朝食後、私たちは、休暇村支配人代理のガバチョ(本名S氏)がガイド&ドライバーを買って出てくれて、フェリーで大三島へ渡り、しまなみ海道経由で尾道へ向かいました。
<旅は、まだ続く>

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瀬戸内の島へ(1) 初めて訪れた瀬戸内の小京都=竹原

 10月の16日・17日、瀬戸内海のウサギの島(大久野島)へ小さな旅をしてきました。
 友人の女性二人とは、JR竹原駅で待ち合わせ。私は、早朝の飛行機で羽田〜広島へ。

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 広島空港から竹原へは、乗り合いタクシーでわずか30分。大阪と広島からやってくる友人が到着するまで少し時間があったので、ちょっと寂れた駅前の『潮風』というカフェで朝食。久しぶりに「モーニング・サービス」なるものをいただきました。↓なかなか充実のハムエッグ・トーストのセット、900円也。

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 竹原は初めての町。となりの県、岡山県津山市で生まれ育った私ですが、初めて広島県に足を踏み入れたのは、れっきとした中年になってからのこと。岡山県人というのは、意識が東(京阪神や東京)に向いているので、西隣の広島に旅行するということがほとんどないのです。
 竹原は、かつて製塩や酒造りで栄えた瀬戸内海に面した町。JRの駅から歩いて10分ほどのかつての町の中心部は「街並み保存地区」となっていて、江戸時代後期から昭和の時代までを感じさせる落ち着いた雰囲気のある町でした。豪商の面影を残す商家の連なる町は、石畳が美しく、予想を遙かに上回る規模で古い街並みが続いています。

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↑町の中心部の小高い山の上にある西方寺山門から、美しい瓦屋根の続く街並み保存地区を望む。

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↑西方寺へ続く石段
↓かつての繁栄を偲ばせる街並み

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↓この町出身の頼山陽に扮してみました(笑)

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 私の故郷、津山も古い街並みをなんとか残そうとしていますが、この竹原の保存状態には遠く及ばないことを実感し、残念に思いました。私が子供の頃の津山には、まだ今の竹原ぐらいの街並みは残っていたように記憶しているのですが……
 古ければいいというものではないことを承知で思うのですが、日頃デジタルだとかネットだとか季節感とは関係ない仕事に明け暮れていると、たまにこういう古い街並みを歩いていると、じんわりと人間に戻っていくような気分になります。その気持ち良さは貴重です。
 最近は東京でも、どちらかというと下町や昔の面影の残っている場所を歩いたり、何か食べに行くにしてもそういう場所を選んでしまいます。
 新しいことを追いかけているのは、仕事の上だけで充分です。それでも溢れそうになってしまいますが……
↓竹原の街中では、お好み焼き屋も昭和の雰囲気

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↓こちらは、木造三階建てのかつての写真館

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 午前中いっぱい竹原の街を散策し、お昼は、酒蔵(藤井酒造)の中にある蕎麦処『たにざき』で、同蔵の酒と、美味しい天ざる蕎麦をいただきました。土曜日の昼下がり、酒蔵でいただく蕎麦、至福の時間です。

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↓藤井酒造の脇で、朽ちていく民家も……「趣きもあるが、傾きもある」という典型的な例ですね(笑)。こうやって、少しずつ廃れていくものもありますが、竹原の街並みの中ではむしろ例外的。

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 食後、再び街を散策後、大きな蔵の中を改造したカフェ『ゆかり』で、コーヒーとおはぎという組合せで一服↓

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 すっかり過去へのタイム・トラベルを楽しんだ私たちは、夕暮れにはまだ少し時間がある午後、この日の宿泊場所、大久野島の休暇村行きのフェリーに乗船……<旅は続く>

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2009年11月 1日 (日)

シェルパ斉藤くんのデビュー20周年記念の集いに参加

2009年10月31日〜11月1日
 あなたは、シェルパ斉藤(本名=斉藤政喜)という人を知っているでしょうか? アウトドア・ライフが好きで、『BE-PAL』など読んだことのある人ならその名前を知っていると思います。彼が、「シェルパ斉藤」のペン・ネームで『BE-PAL』誌上に連載を開始したのが1989年、丁度私が同誌の編集長をしていた時のことです。あれから、もう20年! 彼が今住んでいる八ヶ岳山麓の自作ログハウスの敷地内で「記念のキャンプ・パーティをやるので、来ませんか」というお誘いがあり、久しぶりに車を飛ばして長野県北杜市の高根町を訪ねました。

 斉藤くんが、学生時代に、「揚子江をゴムボートで下る旅に出る予定ですが、その旅のレポートを掲載するページを提供してもらえませんか?」と、『BE-PAL』の編集に携わっていた私に手紙をくれたのが、長い斉藤くんとのおつきあいの始まりでした。彼の手紙にピンとくるものがあり、名古屋に住んでいた彼が上京した機会に会って(旅費は出せないけど、どうしても会ってみたくなる、そんな雰囲気が手紙に溢れていたのです)、大学在学中に、オーストラリアをオートバイで一周した経験をしたためた原稿を見せてもらいました。それがとっても面白くて、なおかつ、彼自身の明るくまっすぐな性格に惚れ込み、『BE-PAL』でアルバイト的に仕事をしながら、旅のライターを目指してみたら?と勧めたのが私だったのです。

 それから、数年、彼は『BE-PAL』誌上で、東海自然歩道を徒歩で踏破するというユニークな旅の連載を開始することになるのです。その直後、私は別の雑誌の編集部に移ったこともあり、直接仕事をする機会はなくなりましたが、彼がユニークな旅を続けるライターとしてデビューする前の下積み時代には、「いつかはきっと自分の連載が持てるようになるさ」と、妙に確信めいた励ましを続けていた手前、彼のその後の活躍には、正直ホッとしています。

 そのシェルパ斉藤くんからのお誘い、断る理由がありません。土曜日の夕方、すでに陽の落ちた中央自動車道を西へ。長坂インターを降りて、ものの5分も走れば、彼の家。私が到着したときには、すでに全員(30人ほどの彼と仕事やプライベートでもおつきあいのある人たち)がたき火を囲んで盛り上がっていました。ちらほらと、私の知っているメディア関係者や、ライター仲間、『BE-PAL』の歴代の担当者の顔も見えます。

 パーティの途中、斉藤くんから、今の彼を支えてくれた仲間や家族への感謝の挨拶があり、聴いている私も感無量。参加者ひとりひとりからも、一言ずつ彼へのメッセージが語られるという温かな集いでした。

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↑挨拶するシェルパ斉藤くん。左端は奥様。頭上には、満月に近い秋の月↓

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 翌11月1日の朝、まだ皆が寝静まっている未明に、私はもう少し標高の高い場所にある美し森の展望台へ行き、夜明けの富士の姿をカメラに収め、夜明けとともに帰京したので、斉藤夫妻に挨拶もできないままでしたが、とても楽しいひとときを過ごすことができました。

『BE-PAL』時代に通い慣れた八ヶ岳山麓。久しぶりに愛車で土の上を走ったりして、20年以上前の自然の中で感じた気分を思い出しました。初心を貫いてきた斉藤くんに、改めて乾杯です。

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↑この標識が示すように、私自身、この日、車のすぐ前を2頭の鹿が連れ立って横切るのに、2度も遭遇しました。一瞬のことで、写真は撮れませんでしたが……

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↑紅葉には少し遅かったDISCOVERY 3 HSEの姿

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↑久しぶりの土の路面に、DISCOVERY 3 HSEも嬉しそうでした

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2009年9月21日 (月)

想い出のサンフランシスコ

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 前回書いた『チルト・シフト』風の写真を、もうちょっと凝ってアルバムにしてみました。
サンフランシスコの街を走る、(ケーブルカーではなくて)路面電車やバートと呼ばれる公共鉄道の写真をチルト・シフト風に加工して、ムービー仕立てにしたものをご覧いただけるのは、こちらです→『Tilt-ShiftでS.F.の路面電車』

 こんなことをやってみようと思ったのは、通信仲間の友人が、最近チルト・シフト写真をきっかけに撮影に目覚め、私の大好きな坂のある港町のひとつ=呉を舞台に数々の写真をネットで公開してくれたことが一つのきっかけです。
 それから、私自身が「ハードウェアはともかく、パソコンはソフトを使いこなしてこそ」と目覚め、最近Appleストアで開かれているワークショップやセミナーを積極的に受講するようになると、「こんなこともできる、あんなこともできる」という、Macならではのソフトウェアの使い方を試してみたくなったのもきっかけになっています。

 今までこのブログとメーリングリストは日常的に使ってきたのですが、写真を中心に、パソコンでコンテンツを作ることを楽しめるようになってからは、実はWEBサイトの構築を密かに初めてみたりしています。まだ公開できるような形にはなっておりませんが、パソコンを使って何かを表現するというスキルのアップにはなっているような気がしています。

 すべて、「何を今更」の世界ですが、62歳でこんなこと始めるとは、自分でも思ってもみなかったので、新鮮な気分で楽しんでおります。

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2009年4月29日 (水)

佐倉の歴博に行ってきました

2009年04月29日
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↑歴博のレストランでいただいた、古代米(黒米)の『山賊おむすび』

 外国へ行くと、かなりの頻度で現地の博物館や美術館を訪ねるくせに、東京周辺の同様の施設を訪ねるということがあまりないのはよろしくないなぁと思っておりました。「いつでも行ける」「新鮮な驚きはすくないだろう」という思いが、海外偏重の原因かもしれません。
 今回、佐倉(我が家からは車で30分の距離です)にある国立歴史民族博物館(歴博と呼ばれています)に行ってみようと思ったのは、開催中の企画展示『錦絵はいかに作られたか』に惹かれたからでした。
 企画展示も、歴博自体もとても興味深く楽しませてもらいました。特に、昨年歴博が手に入れた345枚という世界に類を見ない、歌川国芳、三代・歌川豊国、歌川広重の錦絵を摺った版木のコレクションを中心にした『錦絵はいかに作られたか』という企画展示は、まだ研究途上だとはいえ、本物の版木を子細に見られるというまたとない機会。この版木が平成の世に発見されたいきさつを最近テレビ番組で見ていたこともあり、私にはとても興味深いものでした。父が木彫家で、子どもの頃から、版木や彫刻刀、馬連などの道具が身近にあったということもあり、私には特別な思いもあります。
 それにしても、江戸の画家たちの洗練された見事なセンスもさることながら、それを見事に版木に再現した彫り師や摺り師たちの驚異的な職人技に脱帽。紙に凹凸をほどこして布や動物の毛並みの質感までを表現した空摺りの技法など、驚くべき精緻さです。わざわざ出かけたかいがありました。

 およそ2時間半ほど歴博を見学後、歴博に隣接する佐倉城址公園を散歩。歴博の一施設である「くらしの植物苑」では、「桜草」の企画展示を見ることができました。
 佐倉には初めて行きましたが、一見するとつまらない町ですが、城址公園の緑は(新緑の季節だからだったのでしょうが)とても素晴らしいものがあります。久しぶりに自然に触れたという感じがしました。
 歴史民族博物館と佐倉城址公園のアルバムを公開しました。

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2008年9月10日 (水)

初めての香港

 8月31日から2泊3日、といっても実質1日半くらい、香港に行っておりました。秋の『第1回アジア・太平洋デジタル雑誌国際会議』(世界雑誌連合と日本雑誌協会の共催)への参加招致活動のために訪ねた香港。かつて、といっても46年も前のことですが、一度だけ給油のために旧空港に降りて、機内から夜景を見ただけの香港なので、実際に訪ねたのは今回が初めてです。
 この、ビクトリア・ピークから望んだ夜景など、アルバムを公開しています。ただし、キャプションは未編集。いつものように、オフタイムの食べ歩きが中心ですが……

http://gallery.me.com/iwamotosatoshi#100081&bgcolor=black&view=grid

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