カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

2017年7月23日 (日)

シェルパ斉藤さんのこと

 先週、八ヶ岳に行く機会があったので、久しぶりに、山麓に居を構えて22年になる斉藤政喜さんを訪ねました。斉藤(筆名:シェルパ斉藤)さんは、私の『BE-PAL』時代の若き盟友であり、今や押しも押されもしない人気エッセイストです。

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↑斉藤政喜さん(右)と彼の良きパートナー・京子さん

 今から31年前、1986年の春。前年に『BE-PAL』の編集長代理になっていた私の元に、一通の手紙が届きました。「中国の長江をゴムボートで下る計画をしている。ついては、何らかの形でスポンサーになってくれませんか」という、名古屋在住の大学生からの手紙でした。その手紙の文章の独特の言い回しに面白そうな人柄がにじみ出ており、溢れる熱意にほだされた私は、「一度東京へ出てきて会いませんか? 詳しい話はその時に……」と、当時埼玉にあった彼の実家への帰省時にでも編集部へ寄ってくれるように誘ったのです。
 二か月後に編集部を訪ねてきてくれたその大学生こそが、斉藤政喜さんでした。私がちょうど「代理」の肩書きがとれて、『BE-PAL』の編集長になった直後のことだったので、今でもその時のことをはっきり覚えています。  斉藤さんが熱く語る長江ゴムボート下りの旅の話に、私は、ゴムボートやその他の装備を提供してくれそうなアウトドア用品メーカーの名前を挙げて、「紀行文を『BE-PAL』で発表する」と言えば、興味を示すスポンサーがいるかもしれないとアドバイスをしたのでした。それよりも、初対面の私が興味をもったのは、その2年前に斉藤さんがオートバイでオーストラリアを走破した時の話。数々のエピソードが面白くて、「その旅のことを、今度手紙に書いて送ってくれませんか」と言ったと思います。
 後日、彼から送られてきた「オートバイでオーストラリアぐるり一周」の草稿は、荒削りの文章でしたが、実に面白い。読む者が思わず吹き出すようなユーモアに溢れた文章に魅せられました。  その年の暮れのことだったと思います。長江をゴムボートで下った旅のレポートを『BE-PAL』に書いてもらったのをきっかけに、他誌の手垢のついていない若い書き手を輩出したいという、『BE-PAL』創刊以来の悲願を、彼に託してみたいと思うようになりました。
 教師になるつもりだった彼に、「最初は苦労すると思うけど、あなたの文章には他にない魅力がある。しばらく『BE-PAL』で取材のアシスタントなどしながら、旅のライター修業をしてみるつもりがあるなら、アルバイト代くらい払いますよ」と、前途ある青年に冒険心をくすぐる言葉を掛けたのは私です。  以来、斉藤さんがライター、エッセイストとして独り立ちする日を、誰よりも心待ちにしていた私ですが、内心、そうならなかった場合に、自分が責任を取れるのかという不安も抱えていました。
 斉藤さんは、持ち前の明るい性格とポジティブな発想で、アシスタントからデータ原稿の作成、記事の執筆……そして連載という機会を捉えて、見事にその期待に応えていきました。ただ、私にそう見えていただけで、彼の中では、収入面も含め、不満も不安も抱えて葛藤していた時期があったことを後になって知りました。その責任は、この道に誘い込んだ私にあります。  確かに、斉藤さんが誌面デビューするきっかけを作ったのも、「シェルパ斉藤」のペンネームを考えたのも私ですが、今の彼があるのは、その後に彼とともに連載を人気企画に押し上げるサポートをした優秀な後輩編集者たちです。
 あれから、30年以上の時が流れ、今やアウトドア誌の読者やバックパッカーで、シェルパ斉藤の名前を知らない人はいないほどの存在になった斉藤政喜さんです。そのことを誇らしく思うのと同時に、彼の努力と、それを支えた後輩編集者たちの努力に敬意を表したいと思います。  シェルパ斉藤さんの詳しい略歴と活動の記録は、彼のホームページに詳しく書かれています→ http://www.eps4.comlink.ne.jp/~sherpa/sherupaqitenghis.html

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2017年7月 6日 (木)

『森の探偵』を読んで思うこと

 初めて宮崎学さんと会ったのは、確か1977年、銀座ニコンサロンで彼の写真展『けもの道』が開かれた、その会場でのことだったはず。名刺を交換しただけでしたが、翌年、共立出版から写真集『けもの道』が発行され、私は写真展で受けた感銘を思い出し、彼の開発した無人撮影装置とその設置場所をこの目で見たくなりました。
 当時私は『少年サンデー』編集部に在籍しており、『BE-PAL』創刊プロジェクトにかかわりながら、『少年サンデー』の表紙と巻頭グラビアを担当しておりました。(当時の同誌には、巻頭に8ページのグラビア企画ページがあり、芸能やスポーツ関係を始めジャンルにとらわれない様々な企画を展開していた)トピックス企画の取材という名目で、伊那谷の中央部、駒ヶ根在住の宮崎さんのご自宅を訪ねたのは、1978年10月6日。
 中央高速道が東京方面からは勝沼までしか開通していなかった当時、私は愛車ギャランΣエステートワゴンを駆って千葉稲毛の自宅から首都高、中央道経由で勝沼へ。甲府盆地を抜けて、諏訪の手前から152号線で杖突峠を越え、高遠の町を経由して駒ヶ根へたどり着いたのです。途中、高遠では、下校してくる小学生たちが、ハンドルを握る私に大きな声で「こんにちわ!」と、笑顔で挨拶をしてきた、まるで桃源郷のような光景が、目に焼き付いています。
 宮崎さんのご自宅を訪ね、けもの道に設置してある無人撮影装置の場所まで案内していただきました。当時はまだデジタル・カメラ登場前で、カメラのオート機能も無人撮影には不十分なものだったため、宮崎さんが工夫を重ねて自作した赤外線センサーを利用した装置自体が興味深く、あれこれと不躾な質問をしたものです。
 その時に、彼が熱く語っていた報道写真としての動物写真を撮り続ける姿勢は、今もブレずに貫かれていることが、最新刊の『森の探偵』(小原真史との共著、亜紀書房・刊)を読むとよく分かります。宮崎さんの、頑固に貫かれている自然へのアプローチと、基本は変わらないが、常に新技術も採り入れながら撮影手法を改良してきた柔軟さも兼ね備えた、その姿勢に敬意を表したいと思います。

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 期せずして、長年住み慣れた都会を離れて田舎町の外れに居を移し、日々里山の自然の変化に敏感にならざるを得なくなった私にとっては、宮崎さんが長年拘り続けてきた人と動物との関わり、その接点を観察し記録し続けることの意味が実感をもって受け止められるようになりました。彼が写真を通じて仲介してきた自然界からのメッセージ、人間の営みが生み出すリスクへの警告……など、昨今の害獣施策や熊に襲われる悲劇が繰り返される現実をみると、宮崎さんが発信してきたことの意味が、遅まきながら実感を伴って理解できるようになりました。
『森の探偵』は、とても分かりやすく、宮崎学という希有な存在が取り組んでいる、現実の身近な自然の実態を明らかにする仕事が、私たち自身の問題であることを教えてくれます。

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2017年1月24日 (火)

食べ物についての随筆      今一番気になる森下典子

 食べ物について書くことは、ほんとうに難しいとつくづく思います。長い間雑誌の編集に携わり、食べ物の企画にも数限りなく携わってきました。自分で食べ物について、Facebookなどにも書くことはありますが、ほんとうに難しいものです。食べ物についての随筆の上手な書き手こそ、ほんとうの名文家と呼べるのではないかと、常々思ってきました。

 難しいテーマを難しく書くことの容易さに比べると、食べ物のテーマは書き手の文章力やセンスがむき出しになる怖さがあります。しかも、多くの場合、書き手と同じものを読み手が知っていたり、食べたことがある場合が多く、共感を得ることと同じくらい違和感を感じさせてしまうものです。

 

 他の分野の随筆も同じでしょうが、書き手が普遍的だと思っていることが、往々にして独りよがりの思い込みだったり間違いだったりすることが、食べ物の場合は特に多いように思われます。そして、一歩間違えるとかなり下卑た品のない随筆になる危険性をはらんんでいます。世に言う高級な料亭の高価な料理について書けば上品で、商店街の安価な惣菜やインスタント食品について書けば下品かというと、全く違いますね。どちらかというと、その逆になることの方が多いかもしれません。

 我が家の本棚の随筆コーナーは、飲食に関するものと旅に関するものが圧倒的に多いのは、自身が食いしん坊であることと同時に、編集者として書き手をプロデュースするときに、その人の書いた飲食に関する文章を真っ先に参考にさせていただいてきたという理由が大きいのです。文章力を計るバロメーターとして、食べ物の随筆は最適だと思っています。

 若い時分から、名文家と呼ばれる人の書いた物も含め、食べ物に関する随筆を人一倍多く読んできたつもりです。書き手は作家であったり、料理人であったり、俳優だったり。近年、私が大好きで、そのほとんどの著作を手に取っている書き手の中に、二人の卓越した感性の持ち主がいます。東海林さだおさんと、森下典子さんの二人。タイプの異なる二人ですが、編集者として食べ物の随筆を本にしたいと思うときには、おそらくまっ先に名前が浮かぶのがこの二人です。

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 東海林さだおさんは、今更私が触れるまでもなく、膨大な食にまつわる随筆が書籍として流布しているので、ここでは、「食べ物の随筆で笑いたければ、東海林さだおを読むに限る」とだけ言っておきましょう。さて、注目すべきは森下典子さんです。ご存じの方も多いと思いますが、彼女は、大学時代から『週刊朝日』の人気連載「デキゴトロジー』のルポライターとして活躍した人で、当時「典奴」の名前で書かれた彼女の文章が面白くて『週刊朝日』を買い続けていたことを思い出します。雑誌を編集する時のヒントや、エンタテインメントとしてのルポの書き方を随分学ばせていただきました。

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 後に、私は森下典子さんのベストセラー『日日是好日』(飛鳥新社・刊)で、遅まきながら生まれて初めてお茶(茶道)への興味をかき立てられました。最近読んだものの中では、『いとしい たべもの』(文春文庫)が印象に残っています。この食べ物に関する随筆集は、食品加工機械メーカー、カジワラのホームページで連載が続いている随筆をベースにして、新たに書き下ろされたものを加えて編集されたものです。私は、読み進めながら、カジワラのホームページに書かれた森下典子さんのエッセイに注目し、本にまとめるという仕事をした編集者に嫉妬を覚えました。

『いとしい たべもの』では、名店の有名な菓子も登場しますが、多くは著者の子どものころに食べた母親の料理だったり、七歳の著者自身が作ったサンドイッチ、学生時代に出会ったインスタント麺や、多くの家庭の食卓に見られるソースやカレーのルウなどについて、独自の視点と思い入れに郷愁という調味料を加えて書かれています。

 カレーパンの空洞や、崎陽軒のシウマイ弁当の食べ方に、ここまでこだわった書き手がいたでしょうか? 笑いながらも、しみじみと共感を覚える文章は、森下典子さんの持ち味です。『日日是好日』で泣かされた私は、『いとしい たべもの』で、今は亡き父母や弟を思い出さされて、また泣かされました。文章もさることながら、この本では、著者自身が食べ物のイラストを描いています。そのイラストが素晴らしい。魅力溢れる一冊ですが、その魅力の半分はイラストではないだろうかと思うくらいでした。森下典子、恐るべし。

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2016年1月29日 (金)

ブームからムーブメントへ

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 集英社新書『ブームをつくる』(殿村美樹・著、700円+税)を読みました。副題に「人がみずから動く仕組み」とあります。
 著者は、PRプロデューサーでありPR会社(TMオフィス)の経営者。私にとっては、長年の友人でもあり、彼女の会社が主催するプレスツアーに何度か参加させていただき、彼女がこれまでに仕掛けてきたさまざまなPR活動の実態を知る者として大変興味深く読みました。
 特に、地方に内在する魅力的な文化資源のPRを仕掛ける著者の側と、そのPRを受ける側のメディアである雑誌の編集者という立場の、かつての私。その立場の違いを越えて、この本が解き明かす「PR活動のあるべき姿と目指すべき目標」に、私は深く共感を覚えました。著者の実践してきたPRの本質は、私が長年携わってきた雑誌の編集という仕事と、少なからず共通したものがあります。もちろん手法も立場も異なりますが、たとえば著者がいう「個人へのアプローチ」というPRの基本は、雑誌編集の基本そのものです。
 読者である個人に向けて、何をどう発信するかに重点を置いて雑誌作りをしてきた私は、読者よりも広告のクライアントである企業・法人を向いて作る雑誌には馴染めないままでしたから、著者のめざすPR活動と似た手法で編集をしていたと思います。
 この本は、「ブームをつくりたい」と思っているビジネスマンやその経営者にとって新しい視点を与えてくれると同時に、一般読者にとっては、よく知られたブームがいかにして生まれたかを、わかりやすい実例を交えて紹介してくれます。そういう意味では、万人の知的好奇心をくすぐるエピソードが満載の本であるといえるでしょう。
 また、雑誌編集者にとって、この書が興味深く、新たな仕事への意欲をかき立ててくれる一冊になるだろうとも思います。たとえば……
 新聞やテレビが、従来ほどではないにしろ今でも「マスメディア」としての姿をかろうじて維持している一方で、雑誌はずいぶん前に「マス」を相手にするメディアではなくなっています。特に私が携わってきた雑誌の多くは、創刊時から「マス」であることを、ある意味拒否しながら編集してきました。PRはPublic Relationsの略ですが、私の目指したのは、メディアでありながら、どちらかというとPrivate Relationsでした。
 著者のいう「個人へのアプローチ」が、まさに私の雑誌編集の基本でありました。そして、魅力的な記事作りの基本は、いつも「人」であったという点も、本書が繰り返し主張しているPRの基本と重なります。新聞やテレビや電子出版物と違い、紙の出版物は、人がわざわざ買いに出かけるという行動を起こしてくれなければ、ビジネスとして成り立たないメディアです。そういう意味でも、著者のいう「人がみずから動く仕組み」を作るPR活動と、雑誌・書籍の編集はよく似ているのです。
 一過性のブームを否定し、永続性のあるムーブメントを提唱している著者の考え方に全面的に共感を覚えるのは、私が編集者として「自ら発信した情報が結果としてブームになることはあっても、出来上がったブームには乗らない」また、「他のメディアが取り上げたものは、違う切り口が見つからない限り取り上げない」という姿勢を曲がりなりにも貫いてきたと自負しているからです。
 ただ、立場の違いはあります。PRの基本は「モノやコト」をどれだけ多くの個人に売るかという経済活動が基底にありますが、雑誌の記事作りにおいては「取材対象が売りたくない」と思っているモノやコト(ネタといってもいい)を、こちらがいかにして買うかということから始める、「売るための営業活動」の前に「買うための営業活動」があるということ……などでしょうか。
 さて、超高齢社会という我が国が置かれた現状を踏まえて、著者がめざすPRが、この先どう対応、変化していくのかが楽しみになってきました。ますます高齢化が進み、全体として減速も視野に入れた社会変化の中で、理想のPRはどのような姿が望まれるのでしょうか。年寄りは一筋縄ではいかないですよ、って私のことですが。

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2013年11月10日 (日)

アウトドア・ライフとアメリカの消費文化に触れた人は、懐かしさを覚える小説です

 <ハーシー>のアーモンド・チョコレート、<ハーパーズ>の七月号、アップル社のごく初期のもの、<L.L.ビーン>のダウンを詰めた寝袋、西部劇『ローン・レンジャー』、旧型のホンダ・シヴィック、<ステットソン>のカウボーイ・ハット、<ラルフ・ローレン>、<バナナ・リパブリック>、『ウォルデン~森の生活』、ペンタックスのマクロ・レンズ、コダック社の小型カメラ<インスタマチック>、<オーヴィス>の釣竿、トヨタの1980年型小型オープン・トラック、アルパイン社のステレオ・カセット、<ブルックスブラザーズ>の青いボタンダウンのシャツ、<シアーズ>、<ハスラー>だの<ペントハウス>、<リーヴァイス>のジーンズ、<Kマートの貝ボタンのついたシャツ、<ニューヨーカー>、映画『トップ・ガン』、オレンジ色のゴアテックスの悪天候用ジャケット……(小説に登場する順、表記も小説のママ)

 このような固有名詞の数々が小説の中に散りばめられていると、私と同年代で、アメリカの文化やアウトドア・ライフに触れる機会のあった人は、きっとこのアウトドア・ミステリーと帯にある『動機』(講談社文庫、原題は、TRAIL OF MURDER)を読んでみたくなるのではないでしょうか。私がそうでした。

 ワイオミング州コーディ、モンタナ、ロッキー山脈……というような地名が出てくるので、より一層興味をかき立てられます。著者のクリスティン・アンドレアはフリーライターで、ミステリー作家としてはこの小説が処女作とのこと。

 1992年の作品です。読んでいくうちに、なにか懐かしい思い出に触れるような気分になっていきますが、ミステリーとしてもよくできているのではないでしょうか。ずっと以前に購入したまま積ん読だったのですが、生活がアウトドア中心になった今、読んでみる気になったのです。

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2012年4月18日 (水)

映画好き、特にハリウッド映画が好きなら必読の一冊

古澤利夫・著
『明日に向かって撃て!』

文春文庫(本体933円+税)

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『サウンド・オブ・ミュージック』、『猿の惑星』、『明日に向かって撃て!』、『スター・ウォーズ』、『エイリアン』、『ダイ・ハード』、『タイタニック』……1966年から37年間、著者が宣伝マンとして在籍した20世紀フォックスが公開した、きらびやかな、いかにもハリウッド的映画の数々。同社を退社後も含めると、46年間に及ぶ映画界で、古澤さんが宣伝・配給、企画・製作に携わった作品は実に747本に及ぶといいます。
 先日(4月5日)、帝国ホテルで盛大に開かれた古澤さんの処女作となるこの本の出版記念パーティには、私も末席を汚させていただきましたが、古澤さんと私がほとんど毎週のように顔を合わせていたのは、1970年代後半から80年代にかけてのころでした。当時私は、『FMレコパル』、『少年サンデー』の編集に携わっていたのですが、1976年から担当した『少年サンデー』の巻頭グラビアページを始めとする映画の企画で、古澤さんにはずいぶんお世話になりました。振り返って見れば、古澤さんが宣伝を手がけた名だたるヒット作品のほとんどは、20世紀フォックスの試写室で観させていただいたことになります。
 1976年の暮れ、『少年サンデー』グラビア班の私の元に、製作中のハリウッド映画のスチール写真(多分、10枚に満たなかったポジフィルム)が持ち込まれました。どうやら、アメリカで一部の業界誌紙に配布されたプレス・キットの一部のようでした。資料のようなものは何もなく、SF映画ということと、あの『アメリカン・グラフィティ』を撮った監督の作品であるという以外は何もなかったのですが、写真を見て仰天しました。従来のSF映画とは明らかに異なる実在感を持った映画であることが、メインのカットではない地味なシーンのスチル写真からも伝わってきたのです。
 その写真を携えてフォックスの宣伝部を訪ね、古澤さんに「この映画について教えて欲しい」と頼んだのですが、その時点では明確な答えはもらえなかったので、勘だけを頼りに、当時の編集長を説得して、巻頭グラビア5ページでこの『惑星大戦争』(当時、仮の邦題はこれだったのです!)を紹介しました。今回、この本を読んで、当時の古澤さんがどのような想いでこの映画の宣伝に取り組もうとしていたかを知りました。日本のフォックスも1976年暮れ時点では、この映画の内容についてはほとんど何も資料がなかったのですね。
 後にわかるのですが、『少年サンデー』が『スター・ウォーズ』の第一報をグラビアで紹介したのは、一般週刊誌では、アメリカの『TIME』『Newsweek』に次いで世界で3番目だったということです。
 それ以降、古澤さんには以前にも増してお世話になるのですが、この本を読ませていただいて、改めてその映画界で果たしてこられた輝かしい業績を知ることができました。まさに日本における20世紀後半のハリウッド映画の輝く興行の歴史そのものです。
 自分が編集担当した雑誌の企画で取り上げた作品、試写室で観せていただい作品、そして劇場で楽しんだ作品の数々……古澤さんが宣伝を手がけた映画のなんと多いことか。
 とにかく、ハリウッドが最も輝いていた時期(と私が思っている)1960年代〜90年代の映画を観た、あるいは知っている人にはぜひ読んで欲しい一冊です。ハリウッド映画がどのようにして企画され、製作されていくのか、個々の作品における監督の役割、映画会社の経営者の考え方、スターが生まれる背景という、映画好きならひとつひとつが知りたくなる貴重なエピソードの連続です。そして、その映画を日本の市場で成功に導いていく宣伝の手の内や、興行界の裏側まで、現場を知り監督や出演者と直に接してきた著者でなくては書けない臨場感溢れる文章は、580ページの本書を一気に読ませてくれます。本書の副題に「ハリウッドが認めた! ぼくは日本一の洋画宣伝マン」とありますが、これは自慢や誇張ではなく、本の内容に比べればむしろ控えめな表現ではないかと思えるくらいです。
 ちなみに、本書のタイトルにもなっている『明日に向かって撃て!』(原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid)という邦題は、古澤さんの発案だったのですね。

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2012年3月 4日 (日)

寄席のお囃子さん、恩田えりちゃんが本を出した!

 寄席、落語会に足繁く通う私が追っかけているのは、落語家や漫才、漫談、コントなどの芸人なのはいうまでもありませんが、中にひとり、毛色の変わったお目当ての人がいます。それが、恩田えりちゃん(敢えてちゃんづけで呼ばせてもらいます。それくらい若い三味線の師匠)なのです。そのえりちゃんが、本を出しました!

『お囃子えりちゃん寄席ばなし』
恩田えり・著、新子友子・漫画
(イースト・プレス刊、1289円+税)

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 帯に、柳家小三治師匠の「恩田えりは宇宙人か」という言葉と、「普通の女の子が掟やぶりの寄席囃子に」との惹句が併記されています。恩田えりは、普通の女の子でもなければ、普通の宇宙人でもありません(普通の宇宙人って、どんなんだ!)。この本を読めば読むほど、彼女が「普通の女の子」ではないことが分かってきます。それに、寄席のお囃子さんという職業が、「普通の女の子」ではとても務まらないであろうという思いも強くなっていきます。かといって、深刻な内容ではありません。1時間もあれば、読めてしまいそうな、ほわ〜んとした温かくも可笑しい不思議な本です。
 寄席・落語会の裏方、三味線を弾くお囃子さんとして、今や超のつく売れっ子、恩田えり。毎月どこかの寄席で必ず彼女の弾く三味線の音を聴くことができます。また、ホールでの落語会でも、私でさえ、週に1回、時としてほとんど毎日、「お囃子=恩田えり」を目にしたり耳にしたりします。それだけではありません。彼女は、時として三味線漫談や漫才師として高座にも上がるのを観る機会も増えてきました。
 彼女との出会いは、2007年から2009年にかけて、私が席亭を務めていた『らくだ亭』という落語会(月1回、小学館主催で開催。当時は内幸町ホールをメインで使用していた)のお囃子を務めてもらった時でした。私が関わったのは都合25回でしたが、そのうち半数以上の会で、えりさんにお囃子を務めてもらいました。その落語会の打ち上げの席で、彼女のお母上が、私の母校(岡山県立津山高校)の少しだけ先輩であることが判明し、以来、こちらが勝手に押しかけ身内気分で彼女の熱烈ファンになってしまったのです。
 本書に収録されている、彼女と関わりの深い相手とのスペシャル対談の中で、落語家の柳家喬太郎さんが、いみじくも指摘している「えりちゃんが七十、八十歳になって、寄席の生き字引みたいになって、本を出そうっていうならわかりますけど、今のこのキャリアでこの若さでお囃子さんで、本をだそうっていう話になって、みんなが動くっていうのはやっぱり特別な存在なんでしょうね……」という言葉が全てを物語っています。
 とてもチャーミングで、希有な存在であることは間違いありません。本書は、「恩田えり百科」ともいえる、現時点での彼女の魅力がぎっしり詰まったものになっています。新子友子の描く、漫画のえりちゃんもとっても素敵です。
 落語、寄席ファンはもちろん、とりあえず楽しい気分になりたい人、人生に迷っている人、働いている、あるいは働こうとしている若い女性達にぜひ読んで欲しい本です。あ、あとそんな人がいればの話ですが、宇宙人研究家の人も、ぜひ!

↓2月某夜、新宿ゴールデン街のとあるBarで開かれた、秘密結社の集いにも似たサイン会で

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2011年6月19日 (日)

『BE-PAL』30周年記念号は完売

 先日発売された『BE-PAL』創刊30周年記念号は、完売という結果で、OBとしては嬉しい限りです。このブログでもその号のことについて書きましたがhttp://bit.ly/juek81、多くの懐かしい人たちからメールや、メッセージが届いたのは『BE-PAL』という雑誌のおかげです。
 1981年6月に『BE-PAL』が創刊され、私はその準備期間からプロジェクトに参加しておりましたが、同誌創刊と同時にデスクという役職につき、『BE-PAL』に在籍していた8年間で、デスク→副編集長→編集長代理→編集長を務めるという幸せな日々を過ごさせてもらいました。私の編集者人生の大きな転換期でもありました。人生観や自分のライフスタイルさえも『BE-PAL』という雑誌で変わりました。

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↑『BE-PAL』創刊当時乗っていた、三菱ギャランΣEstate
私にとっては初のオーナー・カー。新車から12万Kmで手放したが、とても気に入っていた。

 先週、その『BE-PAL』創刊時から、私が編集長になるころまでの、創生期の『BE-PAL』で、主にトレッキングの原稿を書いていた平野洋一君が私を訪ねてきてくれました。80年代半ば、彼はライターから「山歩き」のガイドへと転身、New Zealandのトレッキング・ガイドの第一人者として活動してきたのですが、今は一年の半分は日本でトレッキング・ガイド、約3か月はNew Zealandで……という割合で、好きな「山歩き」を仕事として続けています。
 今年還暦を迎える平野君ですが、精悍さが増し、30年前と変わらぬスタイルを貫いて、一年の大半を山で過ごしているからこその、含蓄のある話がいっぱい聞けました。私も、元気なうちに、彼のガイドでもう一度New Zealandや日本の知られざる山の散歩道を歩いてみたくなりました。彼の運営する会社のホームページは→http://bit.ly/lU2824

 30年はあっという間でもありますが、私は、創刊直後に34歳だったことを考えると、やはりそれなりに懐かしい昔のような気もしてきます。私が編集長をやっていた頃からでも20年以上の歳月が流れています。その間、何人かの私と同世代の仲間や若い友人が他界。改めて、共にこの30年を語り合いたかった人たちの冥福を祈りたいと思います。そして、デジタル全盛の現在、その存在が貴重で、自然と親しむことの大切さを伝える使命を帯びた『BE-PAL』が末永く読み継がれて行くことを期待したいものです。

 創刊30周年という節目に、当時一緒に働いた仲間や、当時は読者だった方々からたくさんのメッセージをいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

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2011年4月16日 (土)

私が担当した『ビッグコミック』の表紙(1973〜1974)

 1971年、小学館に入社して、配属されたのは『ビッグコミック』編集部。ちょうど40年前のことです。手塚治虫先生、さいとう・たかを先生、園山俊二先生、はらたいら先生、バロン吉元先生……と錚々たる顔ぶれの方々の担当をさせていただきました。
 そして入社2年目の1973年の春から約1年間、表紙の担当もさせていただきました。今でも同誌の顔である表紙は日暮修一さんが描いてくださっていますが、私が担当させていただいた1年とちょっとの間の表紙絵を並べて見ると、当時の時代を代表する顔ばかり。世相を映す鏡でもありました。(表紙のアルバムはこちら
 体と顔のアンバランスさが特徴の似顔絵表紙でしたが、私が担当させていただいてから、日暮さんは、秋川リサさんで顔だけのUPを断ち切りで描くという、掟破りの試みにも応じてくださいました。加藤茶さんの表紙の時は、バックを黒くしたため、黒い表紙を嫌っていた編集長からこっぴどく叱られたのも、今となっては懐かしい思い出です。さて、皆さんは、全て誰の顔かおわかりですよね。

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2010年4月25日 (日)

『電子書籍の衝撃』(佐々木俊尚・著)は衝撃か?

 著者や版元自身によるTwitterやブログもさることながら、今、電子書籍の話題は、この本(デジタル版と紙版が発行されている)に集中しているかのように見える。私も、紙版の発売前、キャンペーン価格(110円だった!)でダウンロードし、iPhoneで読ませていただいた。
 まず、iPhoneで1冊丸ごと読んだ書籍は、これが初めてだったことに気づく。それだけ、興味深い内容だったこともあるが、単純に読みやすい(形式、見せ方)だったという理由も大きいと思う。

 そして、私は、「衝撃であって欲しい」と願っているひとりだ。

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↑ディスカバー・トゥエンティワン発行

 40年間、出版という世界の片隅に生息し、今も、まさに「電子書籍」というジャンルに近い部分で仕事を続けている私にとって見過ごすことのできない内容であった。本、書籍、出版ということについて、この本に描かれているほど深く考えたことがあっただろうか。考える前に、仕事、しかもかなり楽しい、趣味と行ってもいいくらいの仕事として取り組み、ある時は猛スピードでまたある時はゆったりと、とにかく前に進むことだけに夢中だった40年間。
 現役で編集の現場にいた間、ずっと、右肩上がりの世界に生きて来られたのは、幸せだったということなのだろうが、定年間際の3年間と、定年以降の2年弱、直近の計5年間で、上り坂がなくなり目の前は奈落の底へと通じる崖が見えてきた。崖は、私が通ってきた道の延長線上に立ちはだかり、少々方向を変えたからといって回避できるほど幅の小さな崖ではなかったということだ。

 それでも、立ち止まり、状況を把握し、「このまま行くと、先は崖かも知れない。別のルートを、体力のあるうちに開拓しておいた方がいいのではないだろうか」という趣旨の、経営のトップに向けたレポートを提出したのは、もう7年くらい前のことになる。その後、私は定年を目前にしてデジタル、ネット関連のビジネスを担当することになった。少し遅かったかも知れないと思いつつ、それでも、楽しんでそのビジネスを推進してきたつもりだ。あの時、佐々木氏ほどの知識と見識を備えていたら、もう少しうまくやれたかも知れないという反省はある。個人的には、楽しかったし、今も楽しいと思っている。

 佐々木氏が指摘することは、ほとんどが、わたしが漠然と思ってきたことを別の言葉で巧みに(実に巧みだ、説得力もある)表現したものだと、大筋で納得しながら読んだのだが、読み進めている時から感じていた、あの何か「もやもやした感じ」「喩えようのない胸苦しさ」は、いったい何なんだろう。私がすでに、この本に描かれている「頭の固い年寄り」になってしまっているからか、それとも、微妙に佐々木氏とは異なる意見を持っているからなのか。

 その、喉に小骨が刺さったような、いやそれほどのことはないか、アサリの味噌汁の中にほんの少し砂が混じっていて、「う〜ん、残念」というくらいの違和感を伴う、佐々木氏の考えと、私が感じていることの微妙な相違は、次のような部分だ。

 電子書籍の登場(正確に言うと、ネットを利用した書籍流通の新しいプラットフォームの出現)は、活版印刷の登場以来の大事件のように巷間叫ばれているし、佐々木氏もそのように書かれている。当初、数年前まで、私もそういう言い方で周囲の人を説得していた時期があった。しかし、今は少し違う。流通革命が起きつつあることは認めているが、15世紀に起こったことほど大きな転換があるかどうか、やや疑問に思えてきている。数百年後、「いや、やっぱり2010年代に電子書籍(とその流通プラットフォーム)が与えた衝撃はグーテンベルグ以来の大きなものだった」と評価されるのかもしれないが……

 ただ、早くからKindleにも触れ、iPadも使ってきて思うのは、少なくともiPadは「電子読書端末」ではないだろうという点もある。iPadは使えば使うほど、「これで本を読むのは、よほどの活字中毒者だけだろう」と思えてくる。少なくとも「KindleやiPad」という風にひとくくりにすべきではない。AmazonのKindleは、たしかに読書端末機器と、提供されている電子書籍販売システムのサービスが一体化しており「読書家のための電子書籍端末」と言えるだろうが、iPadは「電子書籍も読もうと思えば読める端末」だ。ここのところを見誤ると、新し時代の読書という観点から、タブレット型PCが出現するたびに、右往左往、余計な一喜一憂をすることになる。Kindleは、従来の紙の出版物の未来を予感させるものに違いないが、iPadは従来の紙の出版物の延長線上とは異なる分野のコンテンツを提供する機械であり機会だと思う。端末としては、異なる目的を持ったものだ。

 とはいえ、佐々木氏が改めて主張し、出版や読書の未来を俯瞰した意味は小さくない。しかも、それを自らの主張に沿う非常に読みやすい形で提供されたことに敬意を表したい。KindleもiPadも(と敢えて言うが)、デジタルもネットも、旧来の出版の敵ではない。大いに利用すべきだし、ビジネス・チャンスを提供してくれるテクノロジーだという点で、私に異論はない。出版に関わる人が、「感情的な反発」を抜きにして、真摯に受けとめ、「ではどうするか」を真剣に考える時を迎えるきっかけになればいいと思う。でも、私は、仕事を離れれば、やっぱり紙の本が好きだけど。

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