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2017年7月 6日 (木)

『森の探偵』を読んで思うこと

 初めて宮崎学さんと会ったのは、確か1977年、銀座ニコンサロンで彼の写真展『けもの道』が開かれた、その会場でのことだったはず。名刺を交換しただけでしたが、翌年、共立出版から写真集『けもの道』が発行され、私は写真展で受けた感銘を思い出し、彼の開発した無人撮影装置とその設置場所をこの目で見たくなりました。
 当時私は『少年サンデー』編集部に在籍しており、『BE-PAL』創刊プロジェクトにかかわりながら、『少年サンデー』の表紙と巻頭グラビアを担当しておりました。(当時の同誌には、巻頭に8ページのグラビア企画ページがあり、芸能やスポーツ関係を始めジャンルにとらわれない様々な企画を展開していた)トピックス企画の取材という名目で、伊那谷の中央部、駒ヶ根在住の宮崎さんのご自宅を訪ねたのは、1978年10月6日。
 中央高速道が東京方面からは勝沼までしか開通していなかった当時、私は愛車ギャランΣエステートワゴンを駆って千葉稲毛の自宅から首都高、中央道経由で勝沼へ。甲府盆地を抜けて、諏訪の手前から152号線で杖突峠を越え、高遠の町を経由して駒ヶ根へたどり着いたのです。途中、高遠では、下校してくる小学生たちが、ハンドルを握る私に大きな声で「こんにちわ!」と、笑顔で挨拶をしてきた、まるで桃源郷のような光景が、目に焼き付いています。
 宮崎さんのご自宅を訪ね、けもの道に設置してある無人撮影装置の場所まで案内していただきました。当時はまだデジタル・カメラ登場前で、カメラのオート機能も無人撮影には不十分なものだったため、宮崎さんが工夫を重ねて自作した赤外線センサーを利用した装置自体が興味深く、あれこれと不躾な質問をしたものです。
 その時に、彼が熱く語っていた報道写真としての動物写真を撮り続ける姿勢は、今もブレずに貫かれていることが、最新刊の『森の探偵』(小原真史との共著、亜紀書房・刊)を読むとよく分かります。宮崎さんの、頑固に貫かれている自然へのアプローチと、基本は変わらないが、常に新技術も採り入れながら撮影手法を改良してきた柔軟さも兼ね備えた、その姿勢に敬意を表したいと思います。

Photo

 期せずして、長年住み慣れた都会を離れて田舎町の外れに居を移し、日々里山の自然の変化に敏感にならざるを得なくなった私にとっては、宮崎さんが長年拘り続けてきた人と動物との関わり、その接点を観察し記録し続けることの意味が実感をもって受け止められるようになりました。彼が写真を通じて仲介してきた自然界からのメッセージ、人間の営みが生み出すリスクへの警告……など、昨今の害獣施策や熊に襲われる悲劇が繰り返される現実をみると、宮崎さんが発信してきたことの意味が、遅まきながら実感を伴って理解できるようになりました。
『森の探偵』は、とても分かりやすく、宮崎学という希有な存在が取り組んでいる、現実の身近な自然の実態を明らかにする仕事が、私たち自身の問題であることを教えてくれます。

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