私の編集者としてのスタートは 手塚治虫先生担当
私が、小学館に入社したのは、1971年3月15日。新入社員教習、書店での実習期間が終わり、配属先が決まったのは同年5月21日のことでした。女性誌で家庭実用欄の編集に携わりたいという希望を持っておりましたが、配属されたのは『ビッグコミック』編集部。まだビッグコミック兄弟誌の『オリジナル』も『スピリッツ』も『スペリオール』も誕生前で、月刊から月2回刊になったばかりの『ビッグコミック』本誌だけでした。
最初に担当させていただいたのが、手塚治虫先生。『ビッグコミック』では『きりひと讃歌』の連載中で、先輩のSさんから担当を引き継がせていただきました。それから約2年間、いわゆる「手塚担当」をさせていただいたのですが、今思えば、右も左も判らぬ新入社員のかけだし編集者にとってこの上なく名誉な経験でした。
正直に告白しますと、子どもの頃に確かに『鉄腕アトム』も読んでいましたが、どちらかというと横山光輝先生の『鉄人28号』の方に夢中だった私です。手塚先生が偉大なまんが家であることは、私が編集者のスタートを切った頃にはすでに衆目の一致するところでしたが、コミック誌の編集者になるとは思っていなかった私は、手塚作品の熱心な読者というわけではありませんでした。むしろ、当時押しも押されもしない人気作家でもあった手塚先生は、ベテラン編集者にとってもスケジュール通りに原稿を受け取ることが難しい作家の筆頭だということで、できれば担当したくない作家だったのです。
ですから、先輩や同僚からも「新入社員で手塚担当か……大変だね」と、同情されたり脅されたりだったのです。しかし、担当させていただいて数か月、私は先生の作品というより、手塚治虫という人物の魅力の虜になっていきました。『きりひと讃歌』の最後の10話と、その次の新連載作品の準備から連載スタート、そして物語が佳境に入るころまでを担当させていただいた間に、私は子どもの頃から抱いていた手塚治虫という人のイメージがガラリと変わる経験をさせてもらいました。
新連載スタート時に担当した作品は『奇子(あやこ)』という、私の知っている手塚作品のどの系譜にも属さない、社会派劇画とでもいうべき、『ビッグコミック』読者層の大人に向けたかなりシリアスな作品になりました。『きりひと讃歌』も、「子どもまんがの神様」とか「日本のディズニー」というような手塚作品のイメージとはかなりかけ離れた作品でしたが、『奇子』は、それ以上に以前の作品とはまるで異なる匂いを持っていました。終戦直後の日本の世相、下山事件を想起させる歴史の暗部にも鋭く迫りながら、かなり性的な表現もあれば殺人もあるという「文部省推薦」とはほど遠い異色の作品です。子ども向けの、あるいは万人向けの手塚作品しか知らない人は、ぜひ『きりひと讃歌』や『奇子』を読んでみてください。あなたの手塚作品に対するイメージが崩壊すること請け合いです。
手塚治虫という作家の偉大さはそこにあります。とにかく守備範囲が広いというか、まんが・コミックという表現手段で可能な世界の、全てを描き尽くしたいという桁外れの貪欲さを持っていた方でした。また、後輩の若い作家のデビュー作までが気になってしかたないという、大作家らしからぬ嫉妬心の持ち主でもありました。私は、「この人の作品を生み出す原動力は、嫉妬心か?」と思ったりもしました。
かけだし編集者の私にまで、「岩本さん、◯◯誌でデビューした◯◯さんの作品を読んでますか? どうしてあの◯◯さんはあんなに人気があるのですか! どこが面白いと思いますか」と、真剣な眼差しで私に尋ねられるのです。そして、次々に新しい表現手法を試し、新人作家がユニークな視点で描くジャンルにも挑み続けてそれを凌駕するという姿勢を最後まで貫かれたと思います。トップを走り続けること、それが手塚治虫という作家の使命であるかのように…… そして、1989年、60歳の若さでこの世を去られた手塚先生。 私は、手塚先生の享年を十年も超えて生きています。先生の偉大な業績に比べて、なんと無駄に長生きしていることか……
【余話1】
実は、私が連載開始を担当させていただいた作品『奇子』は、現在、角川文庫で読むことができることを最近知りました。なぜ、小学館のコミックスのラインナップに入ってなくて、どういう経緯でKADOKAWAの文庫に収録されることになったのかは知りません。しかし、自分が担当させていただいた作品が、50年近く経って、もう一度読むことができるのは嬉しいことです。(電子版は、E-Book Initiative japan)
【余話2】
『奇子』は、スタート時に手塚先生と編集長の間で、作品のタイトルを巡ってかなり激しいやりとりがあり、間に入った私はオロオロするばかりでした。とうとう最後は、皇居外周の道路をぐるぐると何周も回るハイヤーの後部座席で、手塚先生とK編集長の直接対決にもつれこみ、前部助手席に乗ってはらはらしながらそのやりとりを聞いていた担当の私……今回、改めて角川文庫版で『奇子』を読みながら、あの時の緊張感がよみがえりました。当時、手塚先生はまだ44歳だったことに、今更ながら驚きを禁じ得ません。どう思い返しても、堂々たる大作家のオーラに溢れていらしたからです。
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