« 2016年11月 | トップページ | 2017年3月 »

2017年1月に作成された記事

2017年1月24日 (火)

食べ物についての随筆      今一番気になる森下典子

 食べ物について書くことは、ほんとうに難しいとつくづく思います。長い間雑誌の編集に携わり、食べ物の企画にも数限りなく携わってきました。自分で食べ物について、Facebookなどにも書くことはありますが、ほんとうに難しいものです。食べ物についての随筆の上手な書き手こそ、ほんとうの名文家と呼べるのではないかと、常々思ってきました。

 難しいテーマを難しく書くことの容易さに比べると、食べ物のテーマは書き手の文章力やセンスがむき出しになる怖さがあります。しかも、多くの場合、書き手と同じものを読み手が知っていたり、食べたことがある場合が多く、共感を得ることと同じくらい違和感を感じさせてしまうものです。

 

 他の分野の随筆も同じでしょうが、書き手が普遍的だと思っていることが、往々にして独りよがりの思い込みだったり間違いだったりすることが、食べ物の場合は特に多いように思われます。そして、一歩間違えるとかなり下卑た品のない随筆になる危険性をはらんんでいます。世に言う高級な料亭の高価な料理について書けば上品で、商店街の安価な惣菜やインスタント食品について書けば下品かというと、全く違いますね。どちらかというと、その逆になることの方が多いかもしれません。

 我が家の本棚の随筆コーナーは、飲食に関するものと旅に関するものが圧倒的に多いのは、自身が食いしん坊であることと同時に、編集者として書き手をプロデュースするときに、その人の書いた飲食に関する文章を真っ先に参考にさせていただいてきたという理由が大きいのです。文章力を計るバロメーターとして、食べ物の随筆は最適だと思っています。

 若い時分から、名文家と呼ばれる人の書いた物も含め、食べ物に関する随筆を人一倍多く読んできたつもりです。書き手は作家であったり、料理人であったり、俳優だったり。近年、私が大好きで、そのほとんどの著作を手に取っている書き手の中に、二人の卓越した感性の持ち主がいます。東海林さだおさんと、森下典子さんの二人。タイプの異なる二人ですが、編集者として食べ物の随筆を本にしたいと思うときには、おそらくまっ先に名前が浮かぶのがこの二人です。

Img_4126

 東海林さだおさんは、今更私が触れるまでもなく、膨大な食にまつわる随筆が書籍として流布しているので、ここでは、「食べ物の随筆で笑いたければ、東海林さだおを読むに限る」とだけ言っておきましょう。さて、注目すべきは森下典子さんです。ご存じの方も多いと思いますが、彼女は、大学時代から『週刊朝日』の人気連載「デキゴトロジー』のルポライターとして活躍した人で、当時「典奴」の名前で書かれた彼女の文章が面白くて『週刊朝日』を買い続けていたことを思い出します。雑誌を編集する時のヒントや、エンタテインメントとしてのルポの書き方を随分学ばせていただきました。

Img_4129

 後に、私は森下典子さんのベストセラー『日日是好日』(飛鳥新社・刊)で、遅まきながら生まれて初めてお茶(茶道)への興味をかき立てられました。最近読んだものの中では、『いとしい たべもの』(文春文庫)が印象に残っています。この食べ物に関する随筆集は、食品加工機械メーカー、カジワラのホームページで連載が続いている随筆をベースにして、新たに書き下ろされたものを加えて編集されたものです。私は、読み進めながら、カジワラのホームページに書かれた森下典子さんのエッセイに注目し、本にまとめるという仕事をした編集者に嫉妬を覚えました。

『いとしい たべもの』では、名店の有名な菓子も登場しますが、多くは著者の子どものころに食べた母親の料理だったり、七歳の著者自身が作ったサンドイッチ、学生時代に出会ったインスタント麺や、多くの家庭の食卓に見られるソースやカレーのルウなどについて、独自の視点と思い入れに郷愁という調味料を加えて書かれています。

 カレーパンの空洞や、崎陽軒のシウマイ弁当の食べ方に、ここまでこだわった書き手がいたでしょうか? 笑いながらも、しみじみと共感を覚える文章は、森下典子さんの持ち味です。『日日是好日』で泣かされた私は、『いとしい たべもの』で、今は亡き父母や弟を思い出さされて、また泣かされました。文章もさることながら、この本では、著者自身が食べ物のイラストを描いています。そのイラストが素晴らしい。魅力溢れる一冊ですが、その魅力の半分はイラストではないだろうかと思うくらいでした。森下典子、恐るべし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月22日 (日)

俄然興味が湧いてきた      松浦武四郎という偉人

 過日、津市の石水博物館に『江戸時代を歩こう~古絵図・錦絵・名所図会を携えて~』という特別展を観にいった折り、同博物館主催で『炎の旅人 松浦武四郎』という記念講演会が開催されることを知りました。早速その場で聴講を申し込み、1月22日(日)に、講演会の会場である三重県立美術館へ行ってきました。

20170122222944

 松浦武四郎という人物については、「北海道という地名の名付け親。江戸から明治期にかけて、蝦夷地を探険した人」というくらいのわずかな知識しかなかったのですが、伊勢亀山に移住してから、松浦武四郎が伊勢松阪出身であることを知りました。

 幕末の蝦夷地探険というと、私の尊敬する伊能忠敬や間宮林蔵という人が思い浮かびます。伊能忠敬を心の師と仰ぐ私にとって、石水博物館の『江戸時代を歩こう~古絵図・錦絵・名所図会を携えて~』は、見逃すことができない特別展でした。それを機会に、松浦武四郎という人物についてもっと知りたくなったのは、何か運命的なものを感じます。

 伊能忠敬先生が亡くなって来年(2018年)で200年になります。私は、今、伊能忠敬研究会の末席を汚す会員ですが、来年研究会では没後200年を記念してのイベントを開催する予定で、私もそのお手伝いをしています。松浦武四郎は、伊能忠敬先生が亡くなった年、1818年(文政元年)に現在の三重県松阪市に生まれています。この偶然を、私はとても偶然として片付けることができません。

 来年、2018年は、伊能忠敬没後200年、そして、松浦武四郎生誕200年の年になります。改めて二人の偉大なる先人について学ぶ絶好の機会です。今、期せずして伊勢亀山の住人になった伊能忠敬ファンの私にとって、松浦武四郎という人物に出会うのは必然だったような気がしてきました。

Img_4218

Img_4219

 今回の『炎の旅人 松浦武四郎』と題する講演会(講師は、松阪の松浦武四郎記念館・主任学芸員の山本命氏)を聴いて、ますます、この伊勢が生んだ探検家にして旅人、登山家であり、ルポライターであり出版人でもある松浦武四郎に興味がかき立てられました。偉大な業績を残している人物なのに、伊能忠敬や間宮林蔵のように一般にはほとんど知られておらず、教科書に登場することもなかったはなぜなのか……講師の山本氏の言葉を借りれば、「反骨の人であったということ。松前藩や幕府、そして明治政府に対しても、その蝦夷政策を批判したことと無縁ではない」ということのようです。

 アイヌ民族との交流、アイヌ民族の文化保護や地位向上に尽くしたヒューマニスト・松浦武四郎は、もっともっと知られるべき偉人だと思います。特に、北方領土問題や、大国が自国第一の保護主義に走る気配が濃厚な世界情勢を見るとき、民族や地域差の壁を超えて、協調の理念を貫いた人物、松浦武四郎の姿勢に学ぶことは山ほどあるように感じます。

 しばらく、伊能忠敬先生同様、松浦武四郎先生のことを研究してみたくなりました。


↓松阪では、松浦武四郎記念館を中心に、毎年2月最終日曜日に『武四郎まつり』を開催しています。

20170122222543


| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2016年11月 | トップページ | 2017年3月 »