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2014年9月11日 (木)

『四千万歩の男』を読み終えて

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 1年以上かかって、伊能忠敬を主人公に据えた時代小説、『四千万歩の男』(井上ひさし・著 講談社文庫)の本編全5冊、別冊1の計6冊を読み終えました。本編だけで、四百字詰め原稿用紙にして5千枚以上、文庫本のページ数で3290ページ。これに別冊の278ページを足すと、3568ページになります。確かに、稀に見る長編であることに違いありませんが、読了までに1年以上もかかるのは、余りにもノロいのではないかと思われるかもしれません。

 長い時間をかけて読み継いだのには、二つの理由があります。一つは、読み始めたのが昨年の夏前で、直後に長年勤めてきた会社を辞め、下総千葉と伊勢亀山を車で行き来しながら義父の介助と引越の準備に追われてまとまった時間が取れなかったという理由です。列車での移動なら乗車時間に読書も可能だったかも知れませんが、車ではそうはいきません。
 二つ目の理由は、言い訳ではなくて合理的な理由でした。この『四千万歩の男』で描かれているのは、伊能忠敬の生涯の内、最初の奥州、蝦夷への測量の旅に出発した年、寛政十二年(1800年)の正月2日から、翌年、伊豆への測量の旅から江戸に戻り、その後房総から東日本の海岸線を測量する旅に出発する享和元年(1801年)6月19日までのわずか1年半なのです。50歳で隠居した忠敬先生が、56歳から72歳までの足かけ17年間、地球一周を超える距離を歩き通して実測した日本の地図、『大日本沿海輿地全図』(伊能図と呼ばれる)を作り上げた偉業の、その最初の1年半しか描かれていない。
 井上ひさし氏は、この1年半の物語を書くのに実働7年の歳月を要したと語っています。(『四千万歩の男』は、1977年1月から1983年8月まで『週刊現代』に連載されました)後に、井上氏自身があちこちで何度も書いたり語ったりしていますが、「伊能忠敬という人の、愚直な一歩一歩、愚直な一日一日の積み重ねこそが偉業に結びついた。それを、はしょって書いてもしようがないと思った。この小説は構想の七分の一しか書いていない。全部書くためには120歳くらいまでかかってしまう」。
 そういうわけで、この小説は享和元年の6月19日の朝でぷつりと、突然終わっています。井上氏がこの小説を40代で書いたことにも驚きますが、描かれた伊能忠敬先生の気の遠くなるような第二の人生の「愚直な歩測の積み重ね」にも改めて驚かされます。
 著者は、残されている膨大な史実の記録を下敷きにしながら、その測量日誌に書き残されている事実の前後、行間に小説としての娯楽性を加味創造し、愚直な一歩、平凡な測量の一日一日を波乱に富んだ日々に仕立てて、読む者を飽きさせない工夫を散りばめています。
 私が読了までに1年半近くの時間をかけたもうひとつの理由がここにあります。そう、この小説に描かれた1日分を、およそ1日で読み続けることにしたのです。そうすることで、伊能忠敬先生が過ごした歳月の流れに添うことで、より一層共感が増したように思えます。

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↑富岡八幡宮境内の伊能忠敬像は、最も新しい像だとされています。私は、この像の忠敬先生のお顔が一番好きです。

『四千万歩の男』は、単なる伊能忠敬の伝記ではありません。史実に忠実な歴史小説というのでもなく、まさに人間・伊能忠敬を主人公にした時代小説の趣きがあります。測量日誌には書かれていない、恋や友情、師弟愛があり、幕府と地方藩の陰謀渦巻く事件起こり、暗殺、暗闘、仇討ちや一揆にも否応なく巻きこまれていく伊能忠敬……という、井上ひさし氏ならではの物語展開には、無理を承知で引き込まれていきます。なにしろ、史実を曲げないで、架空の物語を挿入するとなると、測量日誌には描かれていない空白の時間帯に起こる事件を書くしかないわけで、多くの事件が夜間に起こり、忠敬先生の八面六臂の活躍はほとんど徹夜の連続になってしまいます。
 随所に登場する江戸の有名人たちとの交流や接触も、嘘だろ!と思う一方、「さもありなん」とも思わせるものがあり、歴史を身近に感じさせてくれます。
 この小説については、また改めてその不合理な疑問点などを書いてみたいと思いますが、今は、長編を読み終えた充足感に包まれております。

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↑九十九里町小関(忠敬先生生誕の地)にある記念公園内の銅像。

 小説を読んでいる間に、私は、忠敬先生がそうしたように、毎日歩くという日課をこなしながら、忠敬先生が江戸に出てきてから住んでいた深川黒江町(現・門前仲町)界隈を訪ね、歩測の練習をした黒江町から浅草司天台(現・浅草橋)への道を何度も歩き、測量の旅に出る前に参詣したといわれる富岡八幡宮(境内に忠敬先生の銅像もあります)へも通いました。そして、出生地の九十九里町小関や、隠居するまでの間入り婿として商売に勤しんだ伊能家の本拠地、佐原へも何度か足を運びました。佐原には、伊能忠敬記念館もあります。もちろん、稲荷町(東上野)の源空寺にある忠敬先生のお墓もこの一年で4度訪ねました。一歩一歩、忠敬先生の背中に追いつくと見えて、その距離はなかなか縮まりません。

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↑源空寺墓所にある忠敬先生のお墓には、その都度近況報告に訪れました。

 今後も、私は尊敬する忠敬先生の生き方、偉業に学び続けることになると思います。この『四千万歩の男』に描かれた忠敬先生が実像に近いのか虚像なのか、その判断は当分先のことになることでしょう。

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コメント

初めてコメント致します。
山形に住む48歳の若輩者です。
実は、BE-PAL 金玉水で検索したらヒットして、貴殿のブログを発見しました。
当時、高校山岳部に所属し、貴殿が入る前に金玉水に行ったものですら、金玉水の記事が新鮮で、嬉しくて堪らなかった事を思い出します。
先日、友人が朝日岳に登ったものですから、こんなコメントをさせていただきました。

投稿: TMO | 2015年7月 2日 (木) 20時33分

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