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2010年9月 5日 (日)

50年前の日記を「自炊」

 デジタル端末で読める「電子書籍」を自分で作る作業を「自炊」と呼んで、一部で話題になっています。「自炊」のためのドキュメント・スキャナーや裁断機が爆発的に売れているともいわれています。
 確かに、膨大な蔵書をせっせとPDF化して端末に取り込んでおけば、移動途中の列車の中や旅先でも読むことができるし、なによりも自宅の書棚の整理が進む。特に、仕事柄月に数十冊の雑誌を購入する私は、後で読もうと思って取っておくだけで膨大な量の雑誌が部屋の床を占拠して収拾がつかなくなってしまいます。
何度も繰り返し読むわけではないが、捨てるには忍びない。後で読みたくなったときに探すのが大変」というような類の書籍や雑誌、マニュアルや名簿など、ドキュメント・スキャナーを買ってからはせっせとデジタル化を進め、ヴァーチャルな書類ロッカー(Evernote)に収めてきました。おかげで、部屋が少〜しだけ片付きましたが、今のところ、取り込んだ書籍をじっくり読むだけの余裕はありません(笑)。
 今日は、昔の日記や手紙、諸々保存してあった「めったに目を通すこともない」書類をスキャンしてみました。で、気づいたのですが、実は、この手のプライベートな書類こそが、「自炊」に一番向いているのではないかということ。もちろん、仕事ではありとあらゆる書類をPDF化して、原本はどんどん捨てるようにしてきて、そのメリットには気づいてはいたのです。「人に読ませるわけではなく、自分の死後も、家族に捨てる手間を掛けさせたくない」という思いと、「人に読まれたくないと思うものは、体が不自由になってからでも一瞬にして消去できる状態にしておくこと」は、原本を保存しておくことよりずっと安心感があります。
 そして、自分の日記は、どんな小説よりも面白いことに気づきました。

1960__001_2

↑これは、私が中学に入学した年、1960年の日記帳です。
↓ちょうど50年前の、9月5日、岡山県北部の町、津山の夕方の気温は、22℃だったと記録しています。

1960__164

 スキャンしながら、結局この50年前の自分の日記をほとんど1年分読んでしまいました。これが、実に興味深く、読んでいてワクワクします。少年期特有の、些末なことで思い悩む様や、幼い恋の芽生え、すっかり忘れ去っていた記憶の中の父母や弟の日常……顔も思い出せない友人たちの名前が綴られていて、気恥ずかしさと懐かしさが交錯するひとときを過ごしました。
 50年前の自分に出会って意外だったのは、放課後の友人たちとのつきあい、部活のバスケットボール練習への熱心な取り組み、ほぼ毎週のように通った映画館、また、自分から進んでいくつかの塾へも通っていたその積極的で行動的な毎日の様子です。時間の使い方は、今より上手だったのかもしれません。工芸家の父が毎日家に居て、公務員(保健婦)だった母が勤めに出ていたという、ちょっと特殊な家庭環境でしたが、父と母が、私と弟を家に置いて結構頻繁に映画を観に出かけていたということも、この日記で知りました。父母の働いている様子ばかりが記憶に残っており、そこそこ生活を楽しんでいた様子は記憶から抜け落ちていたのです。

 あれから、50年です。1960年の夏の終わりに、我が家に初めてテレビが登場。「英語の勉強に必要だ」という私の言葉で、父が突然テープレコーダーを買ってくれたのもこの年だったようです。そのソニー製のオープンリールのテープレコーダーは、結局、当時私が夢中になって聴いていたアメリカン・ポップスをラジオから録音するために大活躍しますが、英語の勉強に使った記憶がありません(笑)。

 他人が読んでもちっとも面白くもないでしょうが、自分にとってはどんな小説よりも面白い日記、「自炊」の醍醐味はこんなところに!と思いました。

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