2012年4月18日 (水)

映画好き、特にハリウッド映画が好きなら必読の一冊

古澤利夫・著
『明日に向かって撃て!』

文春文庫(本体933円+税)

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『サウンド・オブ・ミュージック』、『猿の惑星』、『明日に向かって撃て!』、『スター・ウォーズ』、『エイリアン』、『ダイ・ハード』、『タイタニック』……1966年から37年間、著者が宣伝マンとして在籍した20世紀フォックスが公開した、きらびやかな、いかにもハリウッド的映画の数々。同社を退社後も含めると、46年間に及ぶ映画界で、古澤さんが宣伝・配給、企画・製作に携わった作品は実に747本に及ぶといいます。
 先日(4月5日)、帝国ホテルで盛大に開かれた古澤さんの処女作となるこの本の出版記念パーティには、私も末席を汚させていただきましたが、古澤さんと私がほとんど毎週のように顔を合わせていたのは、1970年代後半から80年代にかけてのころでした。当時私は、『FMレコパル』、『少年サンデー』の編集に携わっていたのですが、1976年から担当した『少年サンデー』の巻頭グラビアページを始めとする映画の企画で、古澤さんにはずいぶんお世話になりました。振り返って見れば、古澤さんが宣伝を手がけた名だたるヒット作品のほとんどは、20世紀フォックスの試写室で観させていただいたことになります。
 1976年の暮れ、『少年サンデー』グラビア班の私の元に、製作中のハリウッド映画のスチール写真(多分、10枚に満たなかったポジフィルム)が持ち込まれました。どうやら、アメリカで一部の業界誌紙に配布されたプレス・キットの一部のようでした。資料のようなものは何もなく、SF映画ということと、あの『アメリカン・グラフィティ』を撮った監督の作品であるという以外は何もなかったのですが、写真を見て仰天しました。従来のSF映画とは明らかに異なる実在感を持った映画であることが、メインのカットではない地味なシーンのスチル写真からも伝わってきたのです。
 その写真を携えてフォックスの宣伝部を訪ね、古澤さんに「この映画について教えて欲しい」と頼んだのですが、その時点では明確な答えはもらえなかったので、勘だけを頼りに、当時の編集長を説得して、巻頭グラビア5ページでこの『惑星大戦争』(当時、仮の邦題はこれだったのです!)を紹介しました。今回、この本を読んで、当時の古澤さんがどのような想いでこの映画の宣伝に取り組もうとしていたかを知りました。日本のフォックスも1976年暮れ時点では、この映画の内容についてはほとんど何も資料がなかったのですね。
 後にわかるのですが、『少年サンデー』が『スター・ウォーズ』の第一報をグラビアで紹介したのは、一般週刊誌では、アメリカの『TIME』『Newsweek』に次いで世界で3番目だったということです。
 それ以降、古澤さんには以前にも増してお世話になるのですが、この本を読ませていただいて、改めてその映画界で果たしてこられた輝かしい業績を知ることができました。まさに日本における20世紀後半のハリウッド映画の輝く興行の歴史そのものです。
 自分が編集担当した雑誌の企画で取り上げた作品、試写室で観せていただい作品、そして劇場で楽しんだ作品の数々……古澤さんが宣伝を手がけた映画のなんと多いことか。
 とにかく、ハリウッドが最も輝いていた時期(と私が思っている)1960年代〜90年代の映画を観た、あるいは知っている人にはぜひ読んで欲しい一冊です。ハリウッド映画がどのようにして企画され、製作されていくのか、個々の作品における監督の役割、映画会社の経営者の考え方、スターが生まれる背景という、映画好きならひとつひとつが知りたくなる貴重なエピソードの連続です。そして、その映画を日本の市場で成功に導いていく宣伝の手の内や、興行界の裏側まで、現場を知り監督や出演者と直に接してきた著者でなくては書けない臨場感溢れる文章は、580ページの本書を一気に読ませてくれます。本書の副題に「ハリウッドが認めた! ぼくは日本一の洋画宣伝マン」とありますが、これは自慢や誇張ではなく、本の内容に比べればむしろ控えめな表現ではないかと思えるくらいです。
 ちなみに、本書のタイトルにもなっている『明日に向かって撃て!』(原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid)という邦題は、古澤さんの発案だったのですね。

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2012年4月15日 (日)

悲しい報せが届きました

 昨日(4月14日)の朝、後輩からの報せで、日暮修一さんがお亡くなりになったことを知りました。その後の情報で、息を引き取られたのは13日の午後7時47分だったとのこと。
 思い返せば、私の編集者としてのごく初期、今から40年前に初めて先輩に連れられて、当時お住まいだった築地のマンションに日暮さんをお訪ねした時から、お世話になりっぱなしでした。私の定年退職の日(2008年7月7日)には、下の色紙をお届けくださいました。入社2年目の春から『ビッグコミック』の表紙の担当をさせていただいたのですが、その当時の私と、定年退職時の私の顔を描いてくださった色紙です。
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 そして、私が担当させていただいた『ビッグコミック』の表紙については、こちらに公開させていただいています。
 私が編集に関わった雑誌の中でも、最初の『ビッグコミック』と、現役最後の頃に編集長を務めた『ラピタ』でも表紙を描いていただき、もっとも長くお世話になった恩人のお一人でした。最初にお目に掛かった時から、ファッションや文具、オーディオ製品など身の回りの全てに拘りのセンスを持っておられたことが強烈な印象として残っています。多彩な趣味人でもあり、『ラピタ』が追究したライフスタイルの文字通り「顔」でした。
 また、その洗練された趣味のひとつとして、落語等古典芸能鑑賞にも意欲的でいらっしゃいました。私も足繁く通った『朝日名人会』では、何度もお目に掛かったことがあります。

 手塚治虫先生、川上宗薫先生、園山俊二先生、はらたいら先生、石津謙介さん始め、編集者としての私を育ててくださった執筆者の方々、特に最初の10年ほどの間にお世話になった方々の多くが他界されて、寂しい思いをしてきました。そしてまた、日暮さんの訃報にはことのほか残念に思います。ご冥福を祈り、合掌。

 

 

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2012年4月 6日 (金)

iPadのミラーリング端末? iPad2Mirrorの正体

4月4日に、秋葉原を歩いていて、あるジャンクショップで見つけた小さなiPad。ハガキ大の大きさの白い箱に入っていました。中を空けてみると、妙に軽いプラスチックの筐体が入っており、背面にはちょっといびつなAppleのロゴマーク……???? と思ったら、かじった部分のないフル・アップル……????

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「お、これは使える!」と思った私は、Facebookに次のようなコメントと写真をアップしました。
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「iPadが重い、普段持ち歩くにはもう少し小さくて軽いiPadが欲しい」という人に朗報? 先日、秋葉原のある店で見つけた、「iPadのミラーリング・マシン?」確かに軽くて小さいけれど、機能が限られているのが残念。写真見ても、信じてもらえないでしょうけど……Appleの関係者の方は、絶対に「いいね!」はクリックできないと思います。3日前なら、ウケたはず(笑)。

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「3日前ならウケたはず」と書いたのは、エイプリルフールに間に合っていれば、友人の何人かをうまく騙せたかも知れないと思ったからでした。それが残念でしたが、私のFacebookのこの記事を真に受けた何人かの友人から、「これは、いくらでしょう? 売っている店を教えて欲しい」とのリクエストがあり、ちょっと罪深いことをしたと反省しております(いや、反省というより、してやったりの気持ちの方が強いか……)。

 ここで、その正体をバラします。
 価格は800円でした(笑)。ミラーリング端末かな? というのは私の勝手な思い込み。iPadを模したミラー、鏡であります。液晶の画面と思ったのは、iPadの画面の写真を貼り付けてあるだけ……新しいiPadの発売間もない時だったので、iPad2Mirrorという表示が妙に説得力があったというわけです。結果として、エイプリルフールを3日も過ぎてから騙したことになって、すみません。いや、騙されていただいて、ありがとうございます。

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2012年3月29日 (木)

気分は高校1年生。49年前にもどったパンナム展での出会い

 銀座・SONYビルで開催中の『 PAN AM/パンナム』展を観てきました。これは、今月放送が開始されたイマジカBSのTVドラマ『PAN AM/パンナム』の放送開始を記念して開かれた催しです。会場は、SONYビル1階の一角にある小さなスペースで、8階の映写室では同ドラマの初回放送分の試写も観ることができます。
 乗り物好きではあっても、特に航空機マニアというわけでもない私が、なぜその催しに興味を持ったかというと……

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 時は今から50年ほど昔に遡ります。私が中学3年生(15歳)の時、愛読していた雑誌の1ページに告知された、新創刊雑誌『ボーイズライフ』(1963年3月創刊、小学館発行)の創刊記念ヨーロッパ読者特派員募集記事が目にとまりました。「作文または図画」による応募となっていたので、なんとか志望高校に進学の決まった中学三年の春休みを利用して、「私が行ってみたい国」という課題の作文を書き、勇んで応募しました。その告知ページに、パンナム機の写真が載っていて、同航空がこの企画のスポンサーであることがわかります。

↓読者特派員募集告知

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作文と、2度の面接を受け、運良く全国から二人の読者特派員のうちの一人に選ばれた私は、高校1年生の夏休み、16歳で、まだ海外旅行が自由化されていない時(自由化されたのは、その翌年、東京オリンピックが開催された年)に、初めての海外旅行を経験することができました。1963年8月5日、16時15分、盛大な見送りをうけて、パンナムの世界1周便(西行き南回り001便)に搭乗。羽田から、香港~サイゴン(現ホーチミン)~バンコク~ニューデリー~カラチ~テヘラン~ベイルート~イスタンブール~ミュンヘン~フランクフルトと寄航しながらロンドンまで。

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↑時代を感じさせますね。真ん中が私です。

 ロンドンからパリまではエアーフランス機で移動しましたが、ロンドン、パリ、ローマ、ベイルートでは、この旅行のスポンサーでもあったパンアメリカン航空の日本人駐在員の方が私たちの旅を親身になって世話して下さいました。 中でも、パリの駐在員・徳永都子(みやこ)さんは私の大恩人です。旅の最初の滞在地であったロンドンで緊張感と慣れない食事のせいで体調を崩していた私を、パリの彼女のアパートに一晩泊めてくださり、おにぎりと味噌汁でどんな薬にも勝る体調快復のきっかけを作っていただきました。前年に東京のアメリカ大使館を退職して、当時始まったばかりの同航空の日本人旅行者対応ヨーロッパ駐在員としてパリに赴任していた独身の徳永さんは、高校1年生の私にとって、初めての外国で出会った女神のような存在だったのです。当時は未だ日本人スチュワーデスの採用がされてなかったパンアメリカン航空では、急増することが予想された日本人旅行者の旅行の便宜供与を一手に引き受けていたのが、同社独自の日本人(あるいは日本語の話せる)駐在員の存在でした。今、どんな理由があるにせよ、独身の航空会社女性社員のアパートに旅行者、しかも高校生であったにせよ、男が泊めてもらうなんてことはとても考えられませんが、駐在員の方がそこまで親身になって旅行者の世話をしていた、今となっては旧き良き時代だったのかもしれません。

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↑↓ ローマの休日!

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↓これが1963年のPASSPORT。黒い革の表紙に金の箔押し……海外旅行の自由化前のことですから、数次旅券などは未だなくて、1回の渡航で失効しました。

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↓学生服の私ですが、職業欄は「特派員」となっています

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 今回、SONYビルで開催されていた『 PAN AM/パンナム』展のコーナーには、当時を知る同社の日本人社員だった人たちが何人か詰めておられたようで、私が訪ねた日も、3人の上品な女性と1人の紳士が同展のスタッフとして訪れる人の質問に答えたり、かつて同社に勤務していた日本人たちの証言を元に編集された本『パン・アメリカン航空物語』の販売を担当されていました。私もその本を購入したのですが、そのうちのお一人が私に「パン・アメリカンに乗られたことがおありですか?」と尋ねられたのです。
「ええ、49年前、1963年に!」と答える私を、かつて社員だった方々が取り囲み、しばし往時の同航空の世界一周便の話に花が咲きました。iPhoneで、私がFacebookのタイムラインのトップページに使用している羽田空港で、B707のパンアメリカン機に搭乗する様子を写した写真をお見せすると、皆さんが歓声を上げてくださいました。そして、私が各地で同社の日本人駐在員の方にお世話になったことを話すと、私より10歳ほど年上とおぼしき女性が、「じゃ、パリでは、徳永みやこさんにお会いになった?」「わたし、彼女と同期なの。彼女は今でもパリのあのアパートの近くに住んでるわよ」。
 私は、もう、ほとんど涙がこぼれそうなくらい懐かしさで胸がいっぱいになりました。まさか、徳永都子さんの名前を初対面の方から聞くことなど想像だにしてなかったことで…… その驚きと青春前期の私に素敵な思い出を作ってくれた女性への憧れが混じり合って、思いがけず幸せな時間が過ぎていきました。

↓私が保存していたパンナム関連グッズ。南回り世界一周便(東京〜ロンドン間)のチケット、チケットフォルダ、バゲッジタグ、レインボークラス(エコノミー)の機内食メニュー……

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2012年3月15日 (木)

それでも春は来る……

 東日本大震災から、もう1年の時が過ぎました。心の安まる時のない日々が続いています。昨年の今頃、甚大な津波の被害に加えて、福島第一原発の事故による、不確かで先の見えない情報に翻弄され、孫のためにもと、店先から一斉に消えてしまった飲料水を確保すべく、西日本の友人に協力を求めた結果、充分すぎるほどの水を毎日のように届けていただいたことを有り難く思い出します。
 その後、次第に落ち着きを取り戻していきましたが、今もなお漠然とした不安感の中にいます。私の直接の被害は、書斎が壊滅状態になったことくらいで、地震の被害は大したことはなかったのですが、原発事故の影響と近い将来に確実に起こりうると指摘されている大地震に対する不安感はぬぐいきれません。ただ、それでも、確実に季節は巡り来て、できる限り日常の中にも楽しみを見つけながら過ごしてきました。政治に対する期待は雲散霧消、持って行き場のない怒りも収まらないまま、過ぎてしまえば瞬く間の1年でした。
 震災では2万を超える尊い命が失われましたが、個人的にも昨年末には父を亡くしたこともあり、人の命や死について否応なく考えさせられた一年でもありました。

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↑自宅から駅に行く途中の公園で、梅が咲き始めました。

 昨日は、通勤途上で梅の花の開花を確認し、出社後、お昼をいただきに出たついでに、竹橋の丸紅の脇で、毎年、都心では最も早く花をつける桜の開花の様子を見てきました。例年同様、2本の桜の木が、すでに3分から5分咲きの状態で春の訪れを感じさせてくれました。悲しみに沈んでいても、小さな歓びに心を弾ませていても、季節は確実に移りゆくのです。それならば、うつむくことは後回しにして、今という時を精一杯明るく楽しく過ごすようにしたいと思ったのでした。

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2012年3月 4日 (日)

寄席のお囃子さん、恩田えりちゃんが本を出した!

 寄席、落語会に足繁く通う私が追っかけているのは、落語家や漫才、漫談、コントなどの芸人なのはいうまでもありませんが、中にひとり、毛色の変わったお目当ての人がいます。それが、恩田えりちゃん(敢えてちゃんづけで呼ばせてもらいます。それくらい若い三味線の師匠)なのです。そのえりちゃんが、本を出しました!

『お囃子えりちゃん寄席ばなし』
恩田えり・著、新子友子・漫画
(イースト・プレス刊、1289円+税)

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 帯に、柳家小三治師匠の「恩田えりは宇宙人か」という言葉と、「普通の女の子が掟やぶりの寄席囃子に」との惹句が併記されています。恩田えりは、普通の女の子でもなければ、普通の宇宙人でもありません(普通の宇宙人って、どんなんだ!)。この本を読めば読むほど、彼女が「普通の女の子」ではないことが分かってきます。それに、寄席のお囃子さんという職業が、「普通の女の子」ではとても務まらないであろうという思いも強くなっていきます。かといって、深刻な内容ではありません。1時間もあれば、読めてしまいそうな、ほわ〜んとした温かくも可笑しい不思議な本です。
 寄席・落語会の裏方、三味線を弾くお囃子さんとして、今や超のつく売れっ子、恩田えり。毎月どこかの寄席で必ず彼女の弾く三味線の音を聴くことができます。また、ホールでの落語会でも、私でさえ、週に1回、時としてほとんど毎日、「お囃子=恩田えり」を目にしたり耳にしたりします。それだけではありません。彼女は、時として三味線漫談や漫才師として高座にも上がるのを観る機会も増えてきました。
 彼女との出会いは、2007年から2009年にかけて、私が席亭を務めていた『らくだ亭』という落語会(月1回、小学館主催で開催。当時は内幸町ホールをメインで使用していた)のお囃子を務めてもらった時でした。私が関わったのは都合25回でしたが、そのうち半数以上の会で、えりさんにお囃子を務めてもらいました。その落語会の打ち上げの席で、彼女のお母上が、私の母校(岡山県立津山高校)の少しだけ先輩であることが判明し、以来、こちらが勝手に押しかけ身内気分で彼女の熱烈ファンになってしまったのです。
 本書に収録されている、彼女と関わりの深い相手とのスペシャル対談の中で、落語家の柳家喬太郎さんが、いみじくも指摘している「えりちゃんが七十、八十歳になって、寄席の生き字引みたいになって、本を出そうっていうならわかりますけど、今のこのキャリアでこの若さでお囃子さんで、本をだそうっていう話になって、みんなが動くっていうのはやっぱり特別な存在なんでしょうね……」という言葉が全てを物語っています。
 とてもチャーミングで、希有な存在であることは間違いありません。本書は、「恩田えり百科」ともいえる、現時点での彼女の魅力がぎっしり詰まったものになっています。新子友子の描く、漫画のえりちゃんもとっても素敵です。
 落語、寄席ファンはもちろん、とりあえず楽しい気分になりたい人、人生に迷っている人、働いている、あるいは働こうとしている若い女性達にぜひ読んで欲しい本です。あ、あとそんな人がいればの話ですが、宇宙人研究家の人も、ぜひ!

↓2月某夜、新宿ゴールデン街のとあるBarで開かれた、秘密結社の集いにも似たサイン会で

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2012年1月26日 (木)

丸2年、4期通ったスペイン語中級II講座が修了

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 2010年の春から通ってきた、東京外語大のオープンアカデミー『スペイン語中級II』講座。先日、その4期目を無事修了しました。
 大学でスペイン語を学んだとはいえ、以来40年間、全くといっていいほど使う機会もなければ、学び続けることもせず、全くの初心者以下のスペイン語の語学力になっておりました。仕事で、たまに行った海外で使う英語のほうが、まだましという状態だったのです。
 2年前の春、一念発起。せっかく青春の一時期に学んだスペイン語、どの程度ダメなのかを知りたい好奇心と、今更恥をかきたくないという恐れがないまぜになったまま、改めて学び始めたスペイン語です。
 熱心な講座仲間の皆さんの向学心と、それを上回る熱心さで根気よく私たちを教えてくれる講師の先生に励まされ、中級コースを、これまで4期連続受講してきました。どんどん難しくなる授業内容に、どこまでついていけるか不安でしたが、なんとかここまで挫折することなく続けられました。
 不思議なモノで、動詞の活用など、遙か昔に忘れたはずのことが、無意識のうちに口をついて出てきたり、学生のころ、あれほど理解に四苦八苦していた文法もなんとなく理解できたり……とはいえ、毎回出される宿題を仕上げるのが精一杯。テキストのエッセイなど、一応読めはするものの、辞書がなくては意味が理解できません。テキストは書き込みで余白が埋まってしまい。辞書はほとんど全ページにアンダーラインの跡を残し、巻末の動詞の活用表はボロボロになりつつあります。
 それでも、なんとか4期目も無事修了。期末の授業の後、4枚目の修了証書をいただきました。素直に嬉しく思います。この歳(もうすぐ65歳!)で、何かを全うして、その証書をいただけるというのは、達成感もあり、嬉しいものです。半年単位で区切られた講座なので、数年通わなくてはもらえない卒業証書と違い、ちゃんと出席さえしていれば誰でももらえる修了証書だとはわかっていても、「がんばった甲斐があったな」と自分を納得させられる喜びがあります。
 もう1期続けるかどうか思案中ですが、いつの間にか、スペイン語の雑誌や書籍を手にして、なんとなく読み続けられそうな気持ちが湧いてくるのは、曲がりなりにも続けてきた成果でしょうか。そうであって欲しいものです。

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2012年1月18日 (水)

私のFacebook使用ポリシー

 長い間雑誌というメディアで仕事をしてきた私は、Facebookというメディアにリアルな人間関係を求めてしまいます。(所詮はネットメディア、そんな絵空事は無理という意見も承知の上です)不特定多数の方とのコミュニケーションは、雑誌の世界でさんざん経験してきました。それでも、読者からいただいたお便りには、毎日最低20通の返事を書き続けることをノルマとして自分に課してきました。できるだけリアルなコミュニケーションを実現しようと努めてきたつもりです。

 そういう人生を歩んできたので、恐らく多くのFacebookユーザーとは異なる感覚と期待をもっているのかもしれません。そういう理由から、自分なりにポリシーを策定しています。

◎「友達リクエスト」については、ありがたいことに、多くの方からいただくのですが、今までリアルなお付き合いのあった方には、基本的に「承認」ボタンを押させていただきます。最近知り合い、今後ともお会いする機会ががあると思われる方も同様です。ただし、ほぼ毎日顔を会わせて、声をかけようと思えばいつでも会話ができるほど日常の仕事で近しい方は敢えてリクエストにお応えしておりません。また、仕事上のお付き合いだけという方も、「友だち」とさせていただくのは失礼にあたると思っておりますので、「承認」を躊躇する場合があります。

◎Facebookに登録されているMail Addressが明らかに法人のアドレスという方からのリクエストもお断りしております。私はFacebookをビジネスで使うつもりは全くありませんので。

◎「リクエスト」をくださる方が、私のことを良くご存じでも、残念ながら私がその方のことをよく知らないという場合も多々あります。その場合は、その方のプロフィールを拝見するようにしています。ところが、困ったことにメッセージもメール来ず、単に「リクエスト」だけを下さる方に限って、プロフィールを拝見しても私との関係が不明なことが多いのです。その場合は、失礼ではありますが、「リクエスト」にお応えしておりません。プロフィールをある程度公開されていないと、私のアドレス帳にお名前はあっても、同姓同名の他人ということがあり得るのです。そういう場合、ひとこと、メールやメッセージで「いついつ、どこで会った◯◯です。リクエストを送ったぞ」とご連絡いただければ、安心できます。
 実は、知人であるように「なりすまし」て、スパム・メッセージを拡散するという例が後を絶ちません。Facebookの「友だち承認依頼ボタン」の機能に頼らず、「良かったらFB友だちになりませんか?」程度のメッセージをやりとりしたいものですね。
 第一、ボタン一つで友だちができたりできなかったりというのは、自分にはどうしても馴染めないのです。友だちって、そんな簡単にできたりできなかったりするものではないだろうという思いがぬぐい去れないのです。

◎また、同様に私の方から「リクエスト」をする場合は、できるだけ別途メッセージをお送りするようにしています。(私のプロフィールについては、必要にして十分な情報は公開しているつもりです)

◎したがって、毎日のように顔を会わせている人や、今まで一度もお目にかかったことがない人で、わたしの「お友達」としてリストに載せさせていただいている方は、それぞれ1~2名の方だけということになっています。

◎限られたスペースのコメントの中で、誤解や曲解のリスクを可能な限り減らすためには、相互に相手がどのような方であるかを知っておくことが大切だと思っています。お互いの立場や、背景、性格なども知っていれば、「いいね!」ボタンの押し方も、お互いに理解できます。

◎以上のような理由から、私はFacebookは相互コミュニケーションのツールだと思っておりますので、ご自身のウォールに書き込みがなく、お互いのコメントに反応もなく、一方的に私のウォールを読んでいるだけ……というような方との「友だち」リンクは、残念ですが外させていただいております。Facebookはブログとは異なる使い方をすべきでしょう。
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 このようなポリシーでFacebookを使っている私は、ひょっとすると何人かの方に無礼な対応をしているかも知れません。しかし、時間や機会があれば、お目にかかって会話を楽しんだり、食べたり飲んだりすることもしてみたいと私自身が思うような方と、上辺だけでないお付き合いをしてみたい、それが私の思いです。仕事に結びつけることは、ほとんど考えておりません。結果として仕事でご一緒できるなら、それもまた嬉しいというくらいの気持ちです。
 ですから、私にとってのFacebookは「友だちを作るためのメディアというより、友だち関係を維持するためのメディア」です。ともすれば希薄、疎遠になりがちな人間関係の密度を回復してくれるツールです。

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2012年1月 9日 (月)

年末ジャンボは当たらなかったが、浅草寺のおみくじは当たった!

 実は、昨年末12月28日に中野へ笑い納めの落語会へ行って以来、カードケースがなくなっていました。そのカードケースの中には、二つの会社の社員証、定期券、保険証、病院の診察券とかTカード、経費精算用のキャッシュカード……などが入っていたのです。銀行のキャッシュカードやクレジットカードは財布の方にはいっているので、年末年始休暇に入っていたこともあって、最初はそんなに慌てていませんでした。というか、間抜けなことに、大晦日に三重の亀山へ行く用事があり、列車に乗ろうとするまで、紛失には気がついていなかったのです。
 わかっているのは、28日の夜、駅の改札はPASMOのカードで通過しているという事実だけ。どうせポケットか鞄の中だろうと思って、正月2日に帰宅してから再度の大捜索。4日の日には、「絶対に駅と家の間で落としたに違いない」と思い込み、乗降駅と近くの交番に問い合わせてみましたが、結局出てこずじまい。

 新年早々にそれぞれのカードの紛失届けや再発行手続きをしなくてはならないと思うと、気分は沈みがちでしたが、気分一新のために出かけた浅草金龍山浅草寺で、お参りの後に引いたおみくじが↓これです。

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「吉」でした。失物のところには「出て来るでしょう」とあります。一縷の望みを抱いて帰宅、その日も改めて探してみたのですが、見つかりません。

 翌朝、仕事始めで出社前、洋服ダンスの、いつもは開けない引き出しを何気なく引いたら、その中に茶色のカードケースを発見。1週間ぶりのご対面です。

 そういえば数年前、同じような「神隠し」状態があったことを思い出します。寝る前に外して、枕元に置いたはずの眼鏡が、朝起きると忽然と姿を消しており、1週間スペアの眼鏡で過ごした後、布団をしまう場所ではない押し入れの奥のほうから見つかったということがありました。無意識のうちに、何かに取り憑かれて置いたとしか思えない意外な場所から出てきたという意味では、今回も全く同様の結果となりました。

 落としたのは、昨年の「厄落とし」。おみくじから窺えるのは「今年は当たり年、吉」ということだろうといいように解釈した出来事でした。お粗末。

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2012年1月 3日 (火)

名古屋駅新幹線ホームのきしめん、「上り」と「下り」で味が異なる

 名古屋駅新幹線ホームの「上り」と「下り」で、きしめんの美味しさは異なるのかどうか……この正月に改めて食べ比べてみました。
 結論から言います。「上り」と「下り」では、明らかに味やきしめん自体の食感に差があります。その違いで味の優劣を一概には決められません。「美味しい」「まずい」は好みに依るところが大きく、単純に優劣は決められないからです。
 さて、「上り」ホームのスタンドと「下り」ホームのスタンドは、実は微妙に品書きが異なります。今回私が食べ比べたのは、山菜きしめん(温かい出汁)ですが……
●「上り」ホーム  山菜・なめこきしめん 470円
●「下り」ホーム  山菜きしめん       430円
 なめこが入るか入らないかの違いはありますが、値段も40円の開きがあります。

↓まずは、「上り」ホームの山菜・なめこきしめん

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 盛りつけが「下り」よりも美しい。ネギの量も多め。油揚げは長方形です。

 ↓下が「下り」ホームの山菜きしめん

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 盛りつけの美しさは「上り」に比べて劣るものの、鰹節の量が半端ではなく、油揚げも大きめで三角形です。出汁の量もたっぷりです。

 で、私の好みで選ぶなら、やはり「下り」(写真下)ホーム。「上り」に比べると、出汁が少ししょっぱいとは思いますが、やや甘味も感じられ、きしめんにはぴったりの出汁です。値段も(なめこは入っていませんが)40円安い。きしめん自体も、食感が「上り」よりも私の好みに近いものがあるのも好感が持てます。これで、青ネギたっぷりならいうことなし!なのですが……

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